形式
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撮影日
(場所)
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備考
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103系
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駅間距離が短く、運転速度の低い線区用で経済性の高い車輌として製造されたのが103系電車で先行試作車は昭和38年に落成した。昭和39年からは量産を開始している。昭和59年まで増備が続き、3447両を新製したほか、101系や72系からの改造車を含めて国電の最大派閥を形成したが、平成元年からは老朽廃車も始まっている。 |
103系 1500番代
(34kB)
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1984.-1.-5.
(筑肥線・姪浜駅?)
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昭和58年3月から筑肥線電化と福岡市市営地下鉄との相互直通運転を実施することになり、九州の国鉄としてはじめて直流電化を行うことになった。これに投入するために103系に対しATC搭載やアコモデーションの改良を加えたのが103系1500番代で、昭和57年から58年にかけて9編成54両を製造した。103系と同一性能だが車体は台枠を除いて201系に準じている。運転台は115系に似たものとなった。写真は登場当時のものだが平成7年から赤とグレーを基調にしたカラーリングに変更されている。 |
121系 (35kB)
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1990.-8.24.
(予讃線・丸亀駅)
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瀬戸大橋線開通と共に四国内の高松〜観音寺、多度津〜琴平間が電化されることになり同区間のローカル列車用として新製された。国鉄の分割民営化直前の昭和62年3月23日の高松〜坂出、丸亀〜観音寺、多度津〜琴平間の暫定電化開業から営業運転が開始された。 |
165系
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1990.10.-4
(信越線・小諸駅)
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車体は183系を基本とした2扉クロスシート車である。先行試作車は昭和38年2月に落成した。当時電化されつつあった勾配線区へ進出する一方、すでに電化された区間でも使用された。昭和40年代後半から新幹線の開業や電車特急の進出もあって幹線の電車急行は減少を始め、新電化区間や地方線の急行への転用が目立つようになった。昭和50年代半ば以降、電車急行は大幅に減少し、平成9年10月のダイヤ改正で同系の定期急行運用は消滅した。
写真:急行「乗鞍」 |
201系 (35kB)
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1990.-8.25.
(東海道線・大阪駅)
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オイルショック後、省エネルーギー化の要求が高まる一方、半導体等の技術の進歩によりエレクトロニクスの車輌への応用の可能性が高まった。そこで電機子チョッパ制御方式の201系が昭和54年に試作された。量産開始は昭和56年である。 |
205系 (34kB)
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1990.-8.27.
(東海道線・大阪駅)
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205系よりさらに経済性の高い新形式車として開発された。営業運転開始は昭和60年1月である。車体は軽量ステンレス製で、大枠の一部を除いてほとんどの部分をステンレスで構成している。 |
207系
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213系 (36kB) クロ212 (32kB)
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1990.-8.24.
(予讃線・高松駅)
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211・213系はコストパフォーマンスの高い車輌として昭和60年12月から製造された。写真の213系はシステムを1M方式とした上で211系との併結を可能にした車輌である。クロ212は瀬戸大橋開業により誕生した車輌で、オールハイデッカー構造である。営業開始は昭和62年3月である。 |
415系 (46kB)
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1985.-4.28.
(鹿児島線・小倉駅)
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日本の交流地域の商用周波数が東西で異なるため、交直流電車は当初2種類に分けて設計されたが、昭和43年に50・60Hz共用の車輌が開発され、昭和46年4月に415系が登場した。昭和61年にはステンレス車体の1500・1700番代が登場した。 |
713系 (45kB)
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1984.-3.29.
(鹿児島線・鳥栖駅)
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九州地区のローカル列車の電車かを目的として昭和58年に登場した交流専用の近郊型電車である。交流電車としては初めて交流回生方式の抑速ブレーキ付きとなり、主電動機も新設計のMT61を装備した。また、主変圧器、主整流器も交流回生用に新設計のものが装備されるなど、当時の国鉄の意欲作ともいえる。昭和58年7月に先行試作車4編成8両が製造され南福岡電車区に配備されたが、ついに量産車が登場することはなかった。現在は宮崎空港線を中心に運用されている。写真は登場時のカラーリング(クリーム1号に緑14号の帯)である。 |
715系 (76kB)
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上:1983.12.26.
(鹿児島線・小倉駅)
下:1983.12.26.
(日豊線・西小倉駅)
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583系を近郊型に改造したもの。昭和50年代末に佐世保線や仙台地区などで交流区間のローカル運用車が必要となり暫定的に余剰となった583系の一部を転用し交流電車化したものである。暫定のはずが15年も運用された。平成10(1998)年廃系列となる。 |