電車(Electric Car)



特急用車輌
形式
(サムネイル)
撮影日
(場所)
備考
185系 200番代 (25kB)
1990.10.-3.
(東北線・上野駅)
リゾート特急とその運用間合には普通列車に使用することを前提として設計された汎用車。昭和56(1981)年に登場した。200番代は耐寒耐雪仕様車で、碓氷峠の通過も考えられたため横軽対策がとられている。(写真:新特急「あかぎ」)
189系 (66kB)
1990.10.-4.
(信越本線・軽井沢駅)
碓氷峠協調運転用の直流特急型電車として昭和50(1975)年より運用が開始された。ベースは183系1000番代であり、外観上の区別はつきにくい。平成2年7月にはグレードアップ車が登場したが、平成9(1997)年9月30日の横川〜軽井沢間の廃止により中央線新宿口の「あづさ」、「かいじ」、「アルプス」や6連化のうえ長野〜直江津間の快速「信州リレー妙高」などに転用された。
(写真:EF63と連結する特急「あさま」)
381系 (46kB)
不明
(不明)
昭和48年の中央西線・篠ノ井線の電化開業時にデビューした振り子式特急電車。カントによる遠心力の打消しの不足を車体が振り子のように傾斜させることで補うのが振り子式電車である。381系はころ軸支持式の自然振り子方式を採用している。振り子式を円滑に作用させるために屋根上の機器はできるだけ床下に搭載されている。車体は軽量化のため軽合金を使用し、窓はベネシアンブラインド内蔵の固定式二重窓である。
485系 0番代 (51kB)
485系0番代
1983.-8.23.
(鹿児島線・博多駅)
交流電化の伸展と共に、東北、北陸、北九州各線区の電車化が進んだ。そして電車特急運転の機運が高まり、昭和39年に北陸地区に特急型交直流電車481系が誕生した。昭和43年には周波数により系列の異なっていた電動車を50/60Hz両用変圧器の開発により一本化した485系が登場し、以後の交直流特急型電車の標準形式となった。昭和47年には分割併合運転を考慮し、前面を貫通形状に変更した200番代が誕生。昭和49年には非貫通タイプの300番代が登場した。昭和60年代以降は特急電車の短編成化により、多くの先頭車化改造車が誕生した。民営化後はグレードアップ車が次々と誕生している。近年では初期の車輌の淘汰が本格化している。
200番代 (33kB)
200番代
1983.-8.26.
(鹿児島線・博多駅)
300番代 (36kB)
300番代
不明
(鹿児島線・博多駅)
489系 300番代
(41kB)
不明
(不明)
昭和47年に登場した489系は、内容的には485系にEF63との協調運転機器を追加した車輌のため、両系列の外観上の違いは見られない。平成9年9月30日限りで信越線横川〜軽井沢間が廃止され、本来の使命を失い、JR東日本車の大半が廃車になった。現在は金沢総合車輌所、長野総合車輌所、京都総合運転所、上沼垂運転区に配置されている。
583系 (34kB)
1982.-8.28.
(山陽線・下関駅)
寝台設備を持ち、同時に昼間の特急にも使用できる特急型として昭和42年10月に登場した。485系などに比べると一回り大きくなり、車輌限界にほぼ添った形になっている。前面はそれまでのボンネット形から分割併合を考慮した貫通形になり、183系や485系200番代などに受け継がれた。塗色は新幹線に接続する寝台特急というイメージから青15号とクリーム1号の塗り分けとなった。当初製造された581系は60Hz用で昭和43年10月の東北本線全線電化完成時には50/60Hz共用の583系が導入された。新幹線建設の具体化で増備は打ち切られ、余剰車は近郊型715系や419系に改造された。
781系 (37kB)
不明
(室蘭線・東室蘭駅)
781系は711系を基本とした耐酷寒耐雪構造の交流専用特急型電車である。北海道の電化は昭和41(1966)年から始められ、昭和50(1975)年には485系1500番代による特急電車の運転が始まったが、485系が本州仕様の設計であったため冬期の故障が続出し、北海道の交流専用電車の登場が待たれていた。そして昭和54年に試作車6両1編成が製造された。これが781系である。(写真:特急「ライラック」)


急行・一般用車輌
形式
撮影日
(場所)
備考
103系 
  駅間距離が短く、運転速度の低い線区用で経済性の高い車輌として製造されたのが103系電車で先行試作車は昭和38年に落成した。昭和39年からは量産を開始している。昭和59年まで増備が続き、3447両を新製したほか、101系や72系からの改造車を含めて国電の最大派閥を形成したが、平成元年からは老朽廃車も始まっている。
103系 1500番代
(34kB)
1984.-1.-5.
(筑肥線・姪浜駅?)
昭和58年3月から筑肥線電化と福岡市市営地下鉄との相互直通運転を実施することになり、九州の国鉄としてはじめて直流電化を行うことになった。これに投入するために103系に対しATC搭載やアコモデーションの改良を加えたのが103系1500番代で、昭和57年から58年にかけて9編成54両を製造した。103系と同一性能だが車体は台枠を除いて201系に準じている。運転台は115系に似たものとなった。写真は登場当時のものだが平成7年から赤とグレーを基調にしたカラーリングに変更されている。
121系 (35kB)
1990.-8.24.
(予讃線・丸亀駅)
瀬戸大橋線開通と共に四国内の高松〜観音寺、多度津〜琴平間が電化されることになり同区間のローカル列車用として新製された。国鉄の分割民営化直前の昭和62年3月23日の高松〜坂出、丸亀〜観音寺、多度津〜琴平間の暫定電化開業から営業運転が開始された。
165系
1990.10.-4
(信越線・小諸駅)
車体は183系を基本とした2扉クロスシート車である。先行試作車は昭和38年2月に落成した。当時電化されつつあった勾配線区へ進出する一方、すでに電化された区間でも使用された。昭和40年代後半から新幹線の開業や電車特急の進出もあって幹線の電車急行は減少を始め、新電化区間や地方線の急行への転用が目立つようになった。昭和50年代半ば以降、電車急行は大幅に減少し、平成9年10月のダイヤ改正で同系の定期急行運用は消滅した。
写真:急行「乗鞍」
201系 (35kB)


1990.-8.25.
(東海道線・大阪駅)
オイルショック後、省エネルーギー化の要求が高まる一方、半導体等の技術の進歩によりエレクトロニクスの車輌への応用の可能性が高まった。そこで電機子チョッパ制御方式の201系が昭和54年に試作された。量産開始は昭和56年である。
205系 (34kB)
1990.-8.27.
(東海道線・大阪駅)
205系よりさらに経済性の高い新形式車として開発された。営業運転開始は昭和60年1月である。車体は軽量ステンレス製で、大枠の一部を除いてほとんどの部分をステンレスで構成している。
207系
   
213系 (36kB)   クロ212 (32kB)
1990.-8.24.
(予讃線・高松駅)
211・213系はコストパフォーマンスの高い車輌として昭和60年12月から製造された。写真の213系はシステムを1M方式とした上で211系との併結を可能にした車輌である。クロ212は瀬戸大橋開業により誕生した車輌で、オールハイデッカー構造である。営業開始は昭和62年3月である。
415系 (46kB)
1985.-4.28.
(鹿児島線・小倉駅)
日本の交流地域の商用周波数が東西で異なるため、交直流電車は当初2種類に分けて設計されたが、昭和43年に50・60Hz共用の車輌が開発され、昭和46年4月に415系が登場した。昭和61年にはステンレス車体の1500・1700番代が登場した。
713系 (45kB)
1984.-3.29.
(鹿児島線・鳥栖駅)
九州地区のローカル列車の電車かを目的として昭和58年に登場した交流専用の近郊型電車である。交流電車としては初めて交流回生方式の抑速ブレーキ付きとなり、主電動機も新設計のMT61を装備した。また、主変圧器、主整流器も交流回生用に新設計のものが装備されるなど、当時の国鉄の意欲作ともいえる。昭和58年7月に先行試作車4編成8両が製造され南福岡電車区に配備されたが、ついに量産車が登場することはなかった。現在は宮崎空港線を中心に運用されている。写真は登場時のカラーリング(クリーム1号に緑14号の帯)である。
715系 (76kB)
上:1983.12.26. 
(鹿児島線・小倉駅)
下:1983.12.26.
(日豊線・西小倉駅)
583系を近郊型に改造したもの。昭和50年代末に佐世保線や仙台地区などで交流区間のローカル運用車が必要となり暫定的に余剰となった583系の一部を転用し交流電車化したものである。暫定のはずが15年も運用された。平成10(1998)年廃系列となる。



旧性能電車
形式
(サムネイル)
撮影日
(場所)
備考
クモハ42
 

1985.10.13.
(下関運転所)

昭和8年からの京都〜明石間の電車運転用として製造された2扉クロスシートの長距離用電車。当初、増結用として計画されたため両運転台方式で、昭和8年に13台製造されただけである。横須賀線、伊東線を経て昭和32年に宇部線へ移り現在に至る。



事業用車
形式
(サムネイル)
撮影日
(場所)
備考
クモヤ442 (35kB)
1984.-3.26.
(山陽線・岡山駅)
交直流の電気検測車。踏切、ATS、軌道回路の検測をおこなう。
クモヤ740 (42kB)
1983.-8.28.
(南福岡電車区)
交流専用の牽引車。車体はモハ72の面影を残している。
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