ディーゼル車(Diesel Car)



特急用車輌
形式
(サムネイル)
撮影日
(場所)
備考
80系 (34kB)
1983.-8.11.
(東海道線・名古屋駅)
昭和35年9月に東北特急の近代化と同年10月に開催された第2回アジア鉄道首脳懇談会での東南アジア諸国へのPRを兼ねて、国鉄初の特急型気動車が誕生した。これが80系特急型気動車である。昭和36年には非電化主要幹線に気動車の大増発が計画され、特急型気動車が量産された。この2次型特急車は先頭車がボンネット型のキハ81から貫通型のキハ82となった。80系気動車は昭和35年から42年までに384両が製造され、北海道から九州(四国のぞく)までの主要非電化幹線で活躍したが、老朽化が進み、多数が廃車となり、現在ではアコモ改良車がJR東海に保留車として残るのみになった。(写真:特急「ひだ」)
181系 (129kB)
1985.-8.-8.
(山口線・篠目駅)
特急網の整備が進むにつれ、連続勾配線区でも特急列車を走らせようという機運が高まってきたが、80系特急型気動車ではスピードアップは困難で、大出力エンジンを搭載した特急型の開発が待たれていた。181系特急型気動車はキハ91系量産先行試作車で試用した数々の新機軸を盛り込んで設計され、昭和43年から昭和47年までに158両が製造された。運転台機器は黒を基調として、人間工学を随所にとり入れた設計となった。また自動解結装置も装備した。北海道を除く主な勾配線区で使用された。(写真:特急「おき」)
183系 (37kB)
不明
(室蘭線・東室蘭駅)
老朽化した80系気動車の代替車としてアコモ改良と性能アップを図った系列が183系特急形気動車である。量産は昭和56年から開始され昭和58年までに89両が製造された。これは先頭車が非貫通型高運転台になっている。昭和61年には2次車(新183系)が登場した。これは先頭車輌が貫通型である。(写真:特急「おおぞら」)
185系 (31kB)
1990.-7.24.
(予讃線・丸亀駅)
四国地区の経営改善施策として優等列車の整備を目指し、老朽化した急行型気動車の置き換えと格上げを含めた特急の増発用として185系特急型気動車が製造された。使用線区を考慮して、分割、併合、短編成化によるメリットを最大限に生かすために数々の工夫がこらされた。その結果、最低2両編成での運転が可能になった。しかし、高速道路整備などに伴い、さらにスピードアップを図るために、52両が製造されたところで増備は打ち切られ、振り子式特急2000系の増備へと振り替えられた。(写真:特急「いしづち」)
2000系 (72kB)
1990.12.29.
(山陽線・岡山駅)
JR四国が将来の高速道路開通に備えて、特急の到達時間短縮を図るために富士重工で製作した振子式特急用車輌。平成元年3月改正より試作車1編成が投入され、その結果を踏まえて平成2年7月から量産車が製造された。ステンレス鋼の使用をはじめとする各部の軽量化と機関の大出力化によって大幅なスピードアップを可能にし、さらに鉄道総研の協力によりDCでは世界初の制御的自然振子方式を採用している。
2006-3.28.
(東海道線・京都駅)


急行・一般用車輌
形式
撮影日
(撮影場所)
備考
20系 (89kB)
1986.-3.31.
(鹿児島線・熊本駅)
昭和32年に両運転台のキハ20、片運転台のキハ25、北海道向け両運転台のキハ21が製造されたが、昭和33年からはモデルチェンジを図り、また勾配線区用のキハ52と北海道向けキハ22が登場した。さらに昭和38年にはモデルチェンジを行い、また郵便荷物車も新製された。このようにして昭和41年までに1072両が製造され全国各地の非電化区間の無煙化に大きく貢献した。(写真:キハ52「ふれあい」号)
40系 (109kB)
1986.-3.31.
高森線(高森〜阿蘇白川))
キハ17など老朽化した車輌を置き換える目的で登場したグループが40系気動車である。40系気動車は使用線区や用途により13の基本タイプがある。型式は両運転台がキハ40、片運転台で両開扉がキハ47、片運転台で片開扉がキハ48である。これに便所の有無や暖地用、寒地用、酷寒地用などの用途に細分される。40系は888両が製造され、ローカル線の車輌体質を改善した。しかし、パワー不足という欠点があり、エンジンの換装工事も行われている。(写真:キハ47「さよなら高森線」号)
58系 (56kB)
1986.-3.31.
(筑豊線・新飯塚駅)
80系特急型気動車の登場に続き、急行型についても接客設備を改善した車輌が求められ、153系電車に準じた車体を持つ急行型気動車が開発されることになった。最初に北海道向けのキハ56、キハ27、キロ26が昭和36年に登場。以後、信越線用のキハ57、キロ27、本州用のキハ58、キハ28、キロ28が登場した。急行型車輌(キハ58)は昭和44年までに1818両が製造され、最盛期には国鉄の全気動車の30%を占めるまでになった。しかし、最近は老朽による廃車もかなり進んでいる。(写真:キハ58「サヨウナラ漆生線」号)
キハ66・67 (40kB)
1985.-3.31.
(日田彦山線・田川後藤寺駅)
昭和50年3月の新幹線博多開業を控え、北九州地区の輸送改善ならびに老朽気動車の置換えを目的に新タイプの気動車が製造された。キハ66・67は汎用タイプの近郊型車輌で、2両を1ユニットとして使用される。キハ66・67は試作的要素も含まれていた車輌であったため、昭和50年に15編成が製造されたのみであるが、後に登場した近郊型車輌に及ぼした影響は大きい。
キハ120 0番代   JR西日本がローカル線区の経営改善とサービスアップを狙って投入した同社初の新型気動車。この写真にあるのはキハ120 201〜に続いて投入されたステンレス車体のオールロングシート車。新潟鉄工で22両が製造された。201〜と比べ多くの設計変更がなされている。木次、亀山、山口の各鉄道部に配置されている。

参考文献:レイルマガジン1999-9月号増刊 「JR車輌ハンドブック1999」 (ネコ・パブリッシング)
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