吉田神社(よしだじんじゃ)

参道 朱印

鎮座 京都府京都市左京区吉田神楽岡町30番地
祭神 第一殿 健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)
第二殿 伊波比主命(いはいぬしのみこと)
第三殿 天之子八根命(あめのこやねのみこと:藤原氏の祖神)
第四殿 比売神(ひめがみ:天之子八根命の妃神)
旧社格 官幣中社
由緒 清和天皇貞観元(859)年、中納言藤原山蔭が春日の四神を勧請し平安京の鎮守神として吉田山に創建。永延元(987)年一条天皇の行幸をはじめ、正暦2(991)年、大社の一に列せられ、堀河天皇嘉承元(1107)年、四度官幣に預かる。神職吉田兼倶(かねとも)が吉田神道を創始し、後土御門天皇文明16(1484)年、斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)を造営してより神道界に絶大なる権威を保持した。総面積35,215坪。
本殿四棟は春日造 応仁2(1468)年に兵火にかかり天文3(1534)年造営、慶安元(1648)年改造。明治44年修理、昭和11年改修、昭和52年修理。

メモ 京都大学吉田キャンパスに東隣する。正門から赤い一の鳥居が見える。吉田山西側が社域であり、その中に社が点在している。
公式HP http://www.geocities.jp/kyoto_yosidajinjya/

表参道
一の鳥居 参道
末社 祖霊社
祭神 
講員の祖霊
末社 今宮社
祭神 大己貴神(おおむなちのかみ)、大雷神(おおいかづちのかみ)、健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
由緒 鎮座の年代は不詳。 順徳天皇健保3(1215)年吉田小神社註進状の内にその名がすでにあり、光格天皇文化13(1816)年現地に造営され古くから木瓜大明神と称し吉田町の産土神である。社殿内と境内に、四神を配した石がある。
 
二の鳥居 参道
境内
本宮
拝殿内部

摂社 若宮社
祭神 天忍雲根命(あめのおしくもねのみこと)
由緒 本社の第二殿と第三殿の間に無社殿で祭られてあったのを後醍醐天皇延元元年、吉田兼ひろが社殿を建て慶安元(1649)年現地に造営、明治10年に摂社に定められた。
摂社 神楽岡社
祭神 大雷神 大山祇神 たかおかみの神
由緒 鎮座の年代は不詳。延喜式に霹靂神(へきれきじん)、神楽岡に坐すと記してあり、神楽岡地主の神、又雷除の神として崇敬篤く、同町の氏神で明治10年摂社に定められた。
末社 神龍社
祭神 従二位卜部兼倶朝臣
由緒 卜部(吉田)兼倶朝臣は大元宮の創始者で後柏原天皇永正8(1511)年2月19日77歳で死去。同10年2月鎮祭、明治13年末社に定められた。
末社 菓祖神社
祭神 田道間守命(たぢまもりのみこと)、林浄因命
由緒 京都菓子業会の総意により菓祖神社創建奉賛会を結成、昭和32年11月11日兵庫県中島神社、和歌山県橘本神社、奈良県林神社の祭神を鎮祭。
斎場所 大元宮へ向かう参道
末社 山蔭神社
祭神 藤原山蔭卿 相殿 恵比須神
由緒 山蔭卿は清和天皇貞観元(859)年奈良春日の大神を勧請し平安京鎮護の神として吉田神社を創建され、またわが国においてあらゆる食物を始めて調理調味付けた始祖であり古来包丁の神、料理、飲食の祖神として崇敬される。昭和32年吉田神社御鎮座1000年大祭を機に全国料理関係者創建に協賛、同34年5月鎮祭。
末社 斎場所大元宮
祭神 天神地祇八百萬神(あまつかみくにつかみやよろずのかみ)
    内院鎮座神 東神明社 祭神 天照皇大神(あまてらすすめのおおかみ)
    西神明社 祭神 豊受比売神(とようけひめのかみ)
    東西諸神社 祭神 式内神三千百三十二座(全国の神)
由緒 昔左京室町に在ったのを吉田兼倶が後土御門天皇文明16(1484)年に現地に造営、同年11月24日奏請の上遷座し、吉田神道の根本伝道として道を説き教えを設けて神祇道の振興に多大の貢献をした。また後陽成天皇天正18(1590)年勅により八神殿を社内後方奉遷し、吉田兼見奉仕して鎮魂祭を行い、慶長14(1609)年さらに勅を受けて神祇官代として伊勢例幣使の儀礼を修め、明治4年まで継続したが、翌5年八神殿の神璽を宮中神殿へ鎮座した。本殿は朱塗の八角に六角の後房を附し、屋根は茅葺八角、千木は南方が内削(うちそぎ)、北方が外削(そとそぎ)に、勝男木(かつおぎ)は南方が丸三個重ね三箇所に北方は角二個宛二箇所に、又棟の中央七角の台に八た璽(やたのみたま)が置かれ、七本の火炎型の金具を取り付けてある等、特殊なる形体は総て吉田神道の原理により表現された社殿である。現在の社殿は昭和14年に改修、昭和55年に修理されたもので、重要文化財(旧国宝)に指定されている。

平成18(2006)年秋現在、東西諸神社は改修工事中であった。
末社 三社社
祭神 多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)、狭依毘売命(さよりひめのみこと)、多岐津毘売命(たきつひめのみこと)、金山毘古命(かなやまひめのみこと)、菅原神(すがはらのかみ)
由緒 初め吉田家の邸内に鎮祭してあったのを仁孝天皇弘化元(1844)年現今の地に遷座、明治5年末社に定められた。
末社 稲荷社、末社 天満宮への参道
末社 稲荷社
祭神 宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)、猿田彦神、天鈿女神(あめのうずめのかみ)
由緒 竹中稲荷社と称し、鎮座ならびに由緒はあまり明らかでない。天長年間に既に社殿のあったことは明らかである。社殿は天保11(1840)年に信徒の寄付金で造営されたもの。現在でも竹中稲荷講が組織されている。明治5年に末社に定められた。
末社 天満宮
祭神 菅原道真公
由緒 智福院に奉祀されていたのを嘉永5(1852)年、現地に遷座、明治5年末社に定められた。

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