海神社(わたつみじんじゃ)
一の鳥居から境内を望む
手前は国道2号線。
(平成17年11月5日)
朱印 朱印

鎮座 兵庫県神戸市垂水区宮本町5番地1号
祭神 正祀 底津綿津見神(そこわたつみのかみ)
中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
上津綿津見神(うえつわたつみのかみ)
配祀 大日靈貴尊(おほひるめむちのみこと:天照皇大神の別名)
社格 延喜式内社 並名神大 月次新嘗
官幣中社
由緒 神社名は古来アマ神社、タルミ神社というが、現在は一般にカイ神社、または御祭神名によりワタツミ神社という。
今から千数百年の昔、神功皇后が三韓征伐を終えて凱旋したとき、暴風雨のため、どうしても御座船を進めることができなった。皇后が自ら綿津見(わたつみ)三神を祭り、祈願したところ、たちまち風波が収まり無事に都へ帰還できた。その後、神功皇后が綿津見三神を祭った地に社殿を建てたのが創建の由来である。大同元年(806)年に神封10戸を寄進され、貞観元(859)年には従五位上を賜った。延喜式においては明石郡・海神社三座として名神大社に列せられ、祈年・月次・新嘗の官幣に預かっている。中世以降、戦乱等のために一時社運が衰えるが、天正11(1587)年、豊臣秀吉によって垂水郷山内の山銭が祈祷料に充てられた。江戸時代には歴代明石藩主が篤く崇敬し、祭祀料2石を寄進するとともに、毎年2月に参拝するのを例としていた。また、万治元(1660)年・延享2(1745)年に社殿の修理・改築を行っている。江戸時代の初頭頃より日向大明神と呼ばれるようになったが、明治4(1871)年、国幣中社に列格した際に海神社と復称した。明治30年、官幣中社に昇格。現在は神社本庁の別表神社である。
(「海神社御由緒略記」等参照)

メモ 海神社はJR神戸線垂水駅のすぐ南に位置し、南側は国道2号線に接している。おそらく昔は広大であったであろう境内は、今はJRと国道に挟まれ、狭い。しかも境内の多くの部分は釣り客を相手とした駐車場となってしまっていた。このような時代に神社が生き残るための苦肉の策とはいえ、ちょっと悲しい。国道2号線の南側には垂水漁港があり、浜鳥居がそびえている。漁港が整備された今でこそ目立たないが、昔は海から良く見えていたという。なお、浜鳥居の額の文字は海側が「海神社」陸側が「綿津見神社」となっている。海神社は毎年10月12日に神輿を船に乗せ、数十隻の船をしたがえてパレードする勇壮な行事(海上渡御)があるが、それに参加すると思われる漁船の舳先はみなきれいな装飾がなされ、海神社の名と印の入った旗を揚げていた。また面白いことに、この港の大体の漁船は名前が「海神丸」となっている。これにも理由があるのだろう。機会があれば海上渡御を見てみたいものである。
(平成16年9月18日 参拝)

久しぶりに参拝。11月なので七五三の参拝客で境内は賑わっていた。垂水漁港では釣りを楽しむ家族連れがたくさんいた。
(平成17年11月5日 参拝)
公式HP なし

一の鳥居越しに浜大鳥居を見る。
車が走っているところは国道2号線。
(平成17年11月5日)
参道
(平成17年11月5日)
拝殿
(平成17年11月5日)
本殿
(平成17年11月5日)
猿田彦社、蛭子社、稲荷社 (境内社)
(平成17年11月5日)
天神社 (境内社)
(平成17年11月5日)

北側(神社側)から見た浜大鳥居
(平成17年11月5日)
南側(海側)から見た浜大鳥居
(平成17年11月5日)
浜大鳥居
昭和32年建立高さ約12メートル、鉄筋コンクリート造り。
(平成17年11月5日)
賽ノ海神社
(平成17年11月5日)
浜の幸供養塔
(平成17年11月5日)
垂水漁港
(平成17年11月5日)
垂水漁港の漁船
名前は大概「海神丸」。舳先の装飾が綺麗。
(平成17年11月5日)
漁船に海神社の旗が掲げられていた。
(平成17年11月5日)

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