少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)

門前 (平成17年10月14日) 朱印

鎮座 大阪府大阪市中央区道修町2丁目1番8号
祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと)・・・日本の薬祖神
神農氏(しんのうし)・・・古代中国最初の統治者。特に医薬を司った。
旧社格 -
由緒 安永9(1780)年10月、薬種仲買仲間で組織する伊勢講が、京都五條天神宮より分霊を道修町の仲間会所に勧請し、以前より祀っていた神農氏とともに合わせ祀ったのが始まりである。享保7(1722)年、幕府は大坂道修町に薬種仲買仲間株124人を公許、和薬種改会所が設置された。薬の安全と商売繁栄を祈願するため、安永9(1780)年、会所の邸内京都五條天神宮より少彦名命の分霊を勧請した。文政5(1822)年、大坂で疫病(コレラ)が流行したとき、薬種道修町の仲間が疫病除薬として「虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさつきうおうえん)」という丸薬をつくり、神前で祈祷をし、施薬した。このとき、病除祈願のお守りとして施与した「張子の虎」は以来、当社独特のお守りとして世に知られるようになった。天保8(1837)年、大塩平八郎の乱で会所も類焼。天保11(1840)年、会しょ邸内の庭上に小詞を建て遷座、明治17(1884)年に薬祖講が設立された。明治39(1906)年に大阪府より付近の他社に合祀するか独立するかの訓令が出され、独立を決定、境内地の拡張、社殿、社務所、事務所を新築し、明治43(1910)年10月に正遷宮を斉行した。これが現在の社殿である。

メモ

「修道町のしんのうさん」と親しまれる。大阪市営地下鉄堺筋線「北浜駅」6番出口よりすぐ。ビルにはさまれ、目立たないので気を抜いていると通り過ぎてしまいそうな感じだ。注連柱には以下のような文が刻まれている。「定給療病方咸蒙」「其恩頼 正二位伯爵源通禧」(やまひをおさむるのりをさだめたまひ、みなそのみたまのふゆをかがふれり:出典 日本書紀巻一神代上)。狭い参道の奥に鳥居があり楠木の大木がそびえており、ここには静謐な雰囲気がある。道修町は薬の町で知られ、現在でも大手の医薬メーカーが多数所在する。通勤途中や営業途中のそれらしきサラリーマンが当社に寄っては参拝していく姿を短い時間の間にもちょくちょく見かけた。毎年、11月22、23日には神農祭が行われる。神官はお忙しい方なのか、前回、前々回は不在で、3度目の正直でようやく御朱印を頂けた。あらかじめ電話(06-6231-6958)をしておいた方が確実であったかもしれない。
少彦名神社由緒書を参考)

公式HP http://www.kusuri-doshomachi.gr.jp/index1.html (くすりの道修町資料館)

入り口にある谷崎潤一郎の「春琴抄」の文学碑。
(平成17年10月14日)
少彦名神社の略記。張子の虎がかわいい。
(平成17年10月14日)
鳥居と社殿。
(平成17年10月14日)
拝殿。
(平成17年10月14日)

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