清明神社(せいめいじんじゃ)

鳥居から境内を見る 朱印
朱印帳

鎮座 京都府京都市上京区堀川通一条上ル清明町
祭神 安倍清明公
安倍清明公は孝元帝の皇子大彦命の後胤(末裔)で、万の道に秀いで、特に天文暦学の道に精通し、神道自在の妙術を得た。天文陰陽博士として朱雀帝より村上、冷泉、円融、花山、一条の六代の帝の側近に仕え、数々の功績をたて、村上帝の時代には、唐の城刑山にて伯道仙人の神伝を承け、帰朝。我国独特の陰陽道を確立し、朝廷の祭政、民族生活の基範を定めた。朝野の信望が篤かったが、寛弘2年9月26日、85歳にて死去。我国陰陽道の祖として広く世の崇敬を受け、清明御霊神として祀られる。
旧社格
由緒 清明神社は清明公の邸址で、寛弘4年(1007年)、一条天皇の鎮霊の勅旨を以って創建された。古記によれば南北二丁、東西一丁(東は堀川、西は黒門、北は誓願寺、南は中立売)の広大な地域を社地としたが、応仁の乱後、豊臣秀吉の都造り、度々の戦火により社域を縮小し、古書、宝物等も散逸し、社殿も荒廃した。が、氏子が中心となり各式年祭(嘉永6年、明治11年、明治36年、昭和3年)には社地社殿を整備改修した。現在の本殿、社務所等は昭和3年の御大典記念事業として新築され、更に昭和25年に堀川通に面する境内地を拡張し、現在に至る。
(「清明神社由緒書」参照)

メモ 2001年秋にはじめて参拝したときは、映画「陰陽師」公開の影響もあって、境内はすごい人だった。境内は社務所の工事中だったのを覚えている。今回は人の数もほどほどであった。若い女性が数多く参拝しているのは、やはり映画や小説のせいか?以前、工事中だった社務所も立派に建築されていた。また、庭や新たな御札授与所が整備されており、マスメディアによる清明人気のすごさを思い知らされる。ここで神社編2冊目となる京都府内用の御朱印帳を入手。
公式HP なし

拝殿

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