大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)

表門 (大門) 朱印

鎮座 大阪府大阪市北区天神橋2丁目1番8号
祭神 贈太政大臣正一位菅原朝臣道真公
旧社格 府社
由緒 大阪天満宮の地には大阪天満宮が造営されるまえから大将軍社が祀られていた。同社は、長柄豊碕宮(ながらのとよさきのみや、大阪市中央区)の西北を鎮護するため、650年(白雉元年)に創祀された叢祠(ほこら)で、毎年6月と12月の晦日に、鬼気(もののけ)が都へ侵入するのを防ぐ道饗祭(みちあえのまつり)を斎行していた。901年(昌泰4年)九州へ左遷される菅原道真公は難波の渡辺に寄り、大将軍社に参拝して海路、筑紫へ旅立たれた。903年(延喜3年)、道真公は太宰府で59歳の生涯を終えたが、その約50年後の949年(天暦3年)のある夜、この大将軍社の社前に突如、七本の松が生え、夜ごとに梢が金色に光り輝いた(七本松伝承)。時の村上天皇は、これを道真公にゆかりの奇瑞として、勅願に依って社の大将軍森(のちに天神の森と呼ばれる。現在南森町という)に天満宮を造営した。以後、千有余年、寸尺も位置を変更することなく現在に至った。1342年(天正2年)に楠木正成と山名時氏の合戦、1570年(元亀元年)の石山合戦、1837年(天保8年)の大塩平八郎の乱等に焼失。現在の本殿は1843年(天保14年)の建築で、様式は権現造。なお、大将軍社は当宮の境内社となり、今に道饗祭を伝えている。
(「大阪天満宮由緒書」参照)

メモ

地下鉄谷町線・地下鉄堺筋線「南森町」の南に位置する。天神橋筋商店街を通るといけるのかなと思ったらちょっと違っていて、気づかずに通り過ぎるところだった。実際には大阪天満宮の西側を南北に通っている。なお、天神橋筋商店街は、天神橋を起点として北に伸びる「天神橋筋」に並行し、北は天神橋筋七丁目まで伸びる全長約2.6キロの商店街で、長さは日本一とのこと。
大阪天満宮の境内は社務所が工事中で、仮の御札授与所が拝殿前に建てられていた。下調べが不十分で境内の見所を全て撮ることが出来なかった。拝殿の件もあり、また日を改めて参拝したい。
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大阪天満宮といえば7月25日に行われる天神祭が有名である。大川に繰り広げられる水上祭は百余艘の供奉船が水上を埋め、空には花火、川面には篝火や提灯の海で華麗を極め百余万人の観客を魅了する。

公式HP http://www.tenjinsan.com/

えと恵方盤
十二支を浮き彫りにした円盤が神門の天井に吊り下げられている。毎年大晦日にこの円盤を新年の干支の方向に回し、恵方を示す。
境内から表門を見る。

拝殿
平成17年11月まで社務所の工事のため拝殿前に仮の御札授与所などが作られている。
神門脇にある「宿車」
付属三殿 拝殿には登竜門がある。
境内社 堺筋に面した鳥居。

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