露天神社(つゆのてんじんしゃ)

鳥居 朱印

鎮座 大阪市北区曾根崎2丁目5番4号
祭神 少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)、大己貴大神(おおなむちのおおかみ)、天照皇大神(あまてらすすすめおおかみ)、
豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)、菅原道真公
旧社格 郷社
由緒

大阪湾に浮かぶ小島のひとつであった現在の地に「住吉須牟地曾根ノ神」を祀ったとされ、「難波八十島祭」旧跡の一社である。曾根崎の地名はこの御神名によるとされる。創建年代は定かでないが、嘉承3年(850年)まで遡ることが出来る。昌泰4年(901年)2月、筑紫へ左遷配流される菅原道真公が福島に船泊まりした折に、「大融寺」に参詣する道すがら、この地で「露と散る 涙に袖は 朽ちにけり 都のことを 思い出ずれば」と詠ぜられた故事により露天神社と称する。なお菅公は、元和8年(1613年)3月に、二郎左衛門九世の孫・渡辺新兵衛源尋が、大阪夏の陣の兵火で焼失した社殿を再建するとき、その御霊代として後陽成天皇より御神名御宸筆を賜り相殿に合祀された。また、入梅の時期に祭礼をすることから、梅雨時期になると清水が湧き溢れる井戸が境内に存することによるとも言われる。元禄16年4月7日、堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が露天神の「天神の森」で情死する事件が起こった。これを近松門左衛門が「曾根崎心中」として劇化、大評判になり、露天神社にも参詣回向の老若男女が大勢押しかけた。以後、「お初天神」と通称されるようになった。
(「露天神社由緒書」参照)


メモ 大阪市営地下鉄谷町線東梅田駅からすぐ。国道1号線と2号線の境目あたり。
大阪の大都会のど真ん中ながら静かな境内。多くの人の憩いの場になっているようだった。神社名の区切りを間違えると、とんでもない名前になってしまうので注意。
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現在の社殿は、旧社殿が昭和20年6月に太平洋戦争で焼失したため、昭和32年9月20日に造営竣工したもの。平成5年には社務所・参集殿・正門・鳥居などを造営。
公式HP http://www.ohatendori.com/jinjya/

参道
鳥居をくぐると拝殿への参道が続く。
露の井
参道脇にある「露の井」。この井戸の名前が神社の名前の由来になったとも。
拝殿 おおっ、池畑慎之介さんの名が!
右近の橘 左近の桜
金比羅宮 (境内社) 「郷社 露天神社」
社務所の横にあった社名を彫った石碑。
お初と徳兵衛の像 玉津稲荷 (境内社)
お初天神通り商店街側の門 梅田新道の歩道橋から見る。

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