長田神社(ながたじんじゃ)

拝殿 朱印

鎮座 兵庫県神戸市長田区長田町3丁目1番1号
祭神 事代主神
「恵美主さま」「福の神」とも。商工業をはじめ、あらゆる産業の守護神、開運招福、厄除の神として親しまれている。
旧社格 延喜式 名神大社、祈雨八十五座
官幣中社
由緒 日本書紀によると神功皇后摂政元年(201年)2月、皇后が新羅より御帰還の途中、武庫の水門(みなと)に於いて「吾御心を長田の国に祠れ」とのお告げにより、山背根子(やましろねこ)の女、長媛(ながひめ)をして創祀せしめられた。長田神社は当時の茅淳の海の入り江に流入する苅藻川の河口の上流、北に350m程の川中の中洲、旧字名中島の樟等照葉樹林の繁茂する杜に鎮座した。(現在は河口から2.5km程離れる。)社頭の八雲橋架橋は文化9(1812)年。それまで、参拝者は川の置石を裸足になり渡っていた。古来、皇室をはじめ武門の崇敬篤く、延喜の制には名神大社、祈雨八十五座に数えられ、明治29(1896)年には官幣中社に列せられた。

特殊神事 追儺式(兵庫県重要無形民俗指定)
毎年2月節分日に行われる古式神事。前日より厳重な潔斎をした7名の鬼役によって奉仕される。この鬼は神のお使いとして、神に代わって松明をふりかざして災厄を焼き尽くし、祓う所作(踊り)をするが、起源は室町時代まで遡るといわれ、よくその昔の古式を今に伝え、当日使用する鬼面七面と共に昭和45(1970)年に指定された。

メモ 神戸市営地下鉄あるいは神戸高速鉄道の長田・長田神社前駅が最寄。赤い鳥居をかたどったゲートをくぐり、門前町である長田神社前商店街を抜けると境内が見えてくる。この商店街はいつも活気があって楽しい。
境内には楠大木が何本もあり、その緑と社殿の赤のコントラストが美しい。特に本殿裏の楠宮稲荷神社のあたりはいい感じだ。

平成7(1995)年の阪神・淡路大震災では社殿の倒壊は免れたが本殿以下社殿が東西に動き南北に傾斜する半壊に近い状態となり、附属舎の全壊、また慶安3(1651)年奉納の馬場先大鳥居を始め4基の大鳥居、約80基の灯籠並び石造物は全て損壊した。復旧には3年という時間と約3億円の費用がかかったという。
公式HP http://www1.neweb.ne.jp/wb/jinja/html/index.html

表参道
長田交差点付近 長田交差点付近
長田神社前商店街 長田神社東参道
鳥居
西参道
八雲橋 社頭
鳥居

境内
赤鳥居と夫婦楠
二本の楠が根部で融合している。いずれも高さ約20m。神戸市指定天然記念物。
絵馬殿
神門と廻廊
神門
拝殿
寛文元(1661)年の社殿が大正13(1924)年1月漏電により炎上、昭和3(1928)年に再建された。漆下地丹塗・極彩色仕様、銅板葺による始めての施行の社殿である。
本殿
単層三間社流造。

摂社・末社
宮稲荷神社
六世紀頃の初秋、繁殖のため岸辺近くに寄ってきたアカエイの群れが夜の台風の暴風雨で増水した苅藻川を遡り、冠水した境内に入り、近在の人はこれを捕らえようとしたが、御神木の「樟」の付近で見失った。以来、御神木「樟」は神の化身であるアカエイの宿る処、「長田神社摂社・楠宮稲荷社の御神木」と崇敬されてきた。アカエイは瀬戸内海に多く棲み、海浜漁業によって多量に得られるアカエイは安価で貴重なタンパク源であり、現今の牛肉に匹敵するものであったが、これを食べることを断ち諸願をかけ祈った。特に腫物でも痔疾に効き目があるとの評判が高くなり、広く信仰されてきた。

アカエイの絵馬について
明治25年(1892年)頃、楠宮稲荷神社の井戸の傍らで茶店を営み放し飼いの鶏(長田神社の神使)の餌の大豆を売っていた谷本もんというお婆さんが、細長い尾の先端にある毒棘を取り除いたアカエイを描いた絵馬を作り参拝客の願掛けに勧めたのが始まりという。茶店は大正13年(1924年)の火災で廃絶。以来、神社が引き継いで授与している。
楠宮稲荷神社境内
鳥居の奥に拝殿。その奥がご神木の樟。
本殿
回廊に囲まれている。
回廊 本殿裏
透き格子に絵馬がいっぱい掛けられている。
アカエイの絵馬
蛭子社 (祭神 蛭子神) 出雲大社 (祭神 大国主神)
月読社 (祭神 月読神) 松尾社 (祭神 大山咋神)
楠鷹(くすたか)稲荷社

神楽殿 儀式殿
昭和38(1963)年10月竣工。総桧づくり入母屋造銅板葺、150uの神前結婚式場。
神門と授与所

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