敏馬神社(みぬめじんじゃ)

拝殿 朱印

鎮座 兵庫県神戸市灘区岩屋中町4丁目1番8号
祭神 素盞鳴命(すさのをのみこと)、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、熊野座大神(くまぬにますおおかみ)
旧社格 延喜式 式内社 名神小
由緒 慶長年間(1600年ごろ)に兵火にかかり、旧記が失われたため、詳細は不明であるが、奈良時代、摂津風土記(713年)に『美奴売(みぬめ)とは神の名で、神功(じんぐう)皇后が新羅へご出兵の時、神崎松原で神集いをされた処、能勢の美奴売山(大阪府飯能郡三草山)の神様がこられ、我が山にある杉の木を切り、船を造りて新羅へ行かれるなら、幸いするところありと教えられた。その通りなされると、大成功をおさめた。お還りの時、この地で船が動かなくなったので、占い問うと神の御心なりと。故に美奴売の神様をこの地に祀り、船も献上した』とある。これが敏馬神社の縁起であり、神功皇后摂政元年(201年)の創建となる。平安時代の延喜式(927年)の神名式に生田・長田神社と並び●売(みぬめ)神社が記載されている。(「敏馬神社由緒書」参照)
(注:●は「さんずいに文」)

メモ 阪神電鉄岩屋駅より南へ。HAT神戸への入り口近くに位置する。正面は国道43号線に面しており交通量も多い。しかし、神戸市民の森に指定された鎮守の森に囲まれた境内は静かで清々しかった。敏馬神社も阪神大震災で大きな被害を受けており、社殿は倒壊を免れたものの大きく壊れ、多数の灯篭が倒れ、塀や社務所、鳥居も大きな被害を受けたという話だった。
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「みぬめ」は祭神の弥都波能売神の名より転じたもので、美奴売・美奴面・●売・見宿女・三犬女とも書いていた。しかし、貞享3年(1686年)には敏馬三社として祭神が素盞鳴命を中心とした。三柱になっている素盞鳴命が「牛頭天王・祇園」と呼ばれ、諸々の邪悪と災厄をのぞくというご神徳から中世より信仰が盛んになり、特に江戸時代に隆盛を極めたが、その頃にご祭神が変わったのかもしれない。(注:●は「さんずいに文」)

敏馬神社のある高台は昔は海中に突き出た岬で、両側が入り江になっていたため、西側を神社の脇から脇浜、東側が沼沢地のため深泥(現在は味泥)と呼ばれた。奈良時代は敏馬の浦、敏馬の泊といわれた港で、延喜式に「新羅人が来朝すると、生田神社でつくった酒をこの地でたまわる」とある。このことからこの地に最も初期の神戸港があったことがわかる。

公式HP なし

鳥居 境内

后の宮 (境内社)
祭神:神功皇后

水神社 (境内社)
祭神:弥都波能売神(みずはのめのかみ:元の祭神)

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