吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)
拝殿 | 朱印 |
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鎮座 | 岡山県岡山市一宮1043番地 | |
祭神 | 主祭神 | 天御中主大神、高御産巣日神、神産巣日神 (造化の三神) |
祭神 | 天之常立神、国之常立神、伊邪郡岐、伊邪那美大神、天照大御神(気比大明神・気比比売大神)、月読大神,素戔嗚大神、 建日方別大神、大山津見大神、宇迦之魂大神、大国主命、事代主命、少名彦命、神倭磐余彦天皇、天津神,国津神、 八百萬神々、大吉備津日子命 |
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相殿 | 吉備津彦命(吉備津武彦命)、孝霊・孝元・開化・崇神各天皇、彦刺日方別命,天足彦国押人命、 大倭迹々日百襲比賣命,大倭迹々日稚屋比賣命、金山彦命(鉄の神),大山咋命 |
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旧社格 | 備前国一宮 国幣小社 |
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由緒 | 朝日の宮と呼ばれる吉備の国最古の大社。崇神天皇60年に社殿が出来たという。平安時代から備前一宮として崇敬されていたが、式内社ではない。一般には、大化改新後、吉備国が備前・備中・備後に分かれた頃に備後一宮・吉備津神社(広島)と同時期に、備中一宮・吉備津神社(岡山)から分祀されたと見られているが、社伝ではそれよりももっと早くから存在していたとしている。源氏・北条氏・足利氏、また江戸期には藩主池田氏が祖先の信輝・輝政を祀るなど、諸侯武将の崇敬も厚かったといわれる。明治30年ごろまでは「大社吉備津宮吉備津神社(太郎太殿)」と呼ばれていたが、国幣小社に昇格したころから現在の「吉備津彦神社」と呼ばれるようになったらしい。本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で元禄年間に池田綱政による造営である。 (「吉備津彦神社由緒書」等参照) |
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メモ | 吉備中山をはさんで吉備津神社とほぼ背中合わせに位置する。吉備津神社があまりに有名で埋もれてしまいそうだが、雰囲気はこちらのほうが好きかも。このあたりは吉備路と呼ばれる地域の東端に当たり、ボランティアの観光ガイドさんもいる。また参拝当日は抹茶の御接待があり、ゆっくりできてよかった。吉備津彦神社の境内の配置は古代の太陽信仰の影響を反映している(下図参照)。吉備津彦神社成立前から、この地に太陽・月星・磐座等の信仰の信仰の場が存在していたことの影響であろうか。境内は社殿の前こそ広く明るいが、社殿から奥は鬱蒼と木が茂り、一種近寄り難い雰囲気も感じられた。 | |
公式HP | なし | |
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大灯篭 高さ日本一!手前の人物と比較してみると大きさがわかる。 |
鯉のぼり GWの期間中は駐車場に鯉のぼりが多数あげられているそうだ。 |
社殿方位図 (「吉備津彦神社由緒書」より) |
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