石屋神社(いわやじんじゃ)
拝殿 | 朱印 |
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鎮座 | 兵庫県淡路市岩屋字明神799 |
祭神 | 国常立命 伊邪那岐尊 伊邪那美尊 |
旧社格 | 延喜式 小社 郷社 |
由緒 | 創立年月は不詳であるが、崇神天皇(第10代天皇)の時代に三対山に鎮座されたという。絵島明神といい、垂仁天皇(第11代天皇)の時代に石屋明神という。皇紀860年ごろ神功皇后が三韓征伐の際、対岸明石郡垂水の浜より当浦に着船せられ、三対山の頂上にて戦勝を祈願せられたという。凱旋の時、又参拝ありて報賽せらるるという。 延喜式の制小社に列し、白河天皇(第72代天皇)承暦4年過穢によりて使いを派し、清穢を科すべきことをト奏した。長寛元年、二条天皇(第78代天皇)が「天地大明神」と勅定せられ神階を昇叙し、神供田を寄進せらる。源平争覇の頃、岩屋浦も兵火を被り当神社の記録も灰燼に帰した。土御門天皇(第83代天皇)の御代に大内義興が将軍義植を奉じて京都に入らんとし、当地に軍を進め、三対山に岩屋城を築いたとき、当神社を海浜の今の地に遷座した。池田氏が淡路を領地としたときに社殿を再興し、寛政8年領主蜂須賀侯は親しく参拝し文化14年又直参を見た。明治6年2月に郷社に列せらる。 |
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メモ | 国生み神話のある淡路島に鎮座する。近くには「おのころ島」と比定される島のひとつである絵島がある。明石市に鎮座する岩屋神社は当神社から勧請したものであると伝えられる。 |
公式HP | - |
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長屋式門 幅50m。門前は国道28号線でその向こうは大阪湾。 |
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境内 | |
拝殿 | 本殿 |
八百萬神社 | 稲荷大明神社 |
拝殿前の灯篭 俳優の渡哲也氏が奉納したもの。 |
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