今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)
拝殿 | 朱印 |
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鎮座 | 大阪府大阪市浪速区恵美須西1丁目6番10号 |
祭神 | 天照皇大神、事代主命(えべっさん) 外三神 |
旧社格 | 郷社 |
由緒 | 西暦600年に聖徳太子が四天王寺建立に当たり、同地西方の守り神としてお祭りした。609年3月には太子自ら、市の守り神としてお祈りしたと伝えられている。鎮座地には平安中期に海の幸をととのえる御厨子所が設けられ、毎日宮中へ鮮魚を奉献していた。一時中断したが1557年(弘治3年)4月10日に後奈良天皇の勅により復活、明治初年まで毎年正月にこの朝役を奉仕していた。また京都の八坂神社(祇園社)に毎年「おみこし」を担ぐ人々をおくる神役が慶応4年/明治元年(1868年)まで続いた。 (「今宮戎神社由緒書」参照) |
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メモ | 南海電鉄高野線今宮戎駅のほど近くにある。境内は阪神高速とビルに囲まれ、思った以上に狭く感じられた。 ********************************************************************************************************** 明治元年の神仏分離まで9月18日の祭礼に四天王寺の西門まで「おみこし」のお渡りと、四天王寺楽人による舞楽奉納の神事があった。平安末期、四天王寺西門に「浜の市」と呼ばれる市が立っていたが、当時の市の習慣として、市には必ず市神を祭り、その市神に戎神を祭っていた。浜の市にも戎神が祭られていたはずであり、それに当社鎮座地の住民が関与したのが四天王寺とのかかわりの始まりである。このように「えべっさん」は市の守り神として祭られ、商売繁盛、福徳円満の守り神として庶民から尊敬されるようになり、江戸時代からは十日戎のお祭りが始まり、元禄時代には今日と同じような祭礼となった。今でも毎年、100万人以上の参詣者がある。 |
公式HP | http://www.imamiya-ebisu.net/ |
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鳥居 | 拝殿 十日戎では大勢の人でにぎわう境内も普段はひっそりとしている。 |
拝殿と本殿 後ろは阪神高速。 |
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