新日吉神宮(いまひえじんぐう)


鳥居と山門 朱印

鎮座 京都府京都市東山区妙法院前側町451番地1号
祭神 本殿 後白河法皇
大山昨命(おおやまくいのみこと)
妃神加茂玉依姫命(ひのかみかものたまよりひめのみこと)
大己貴命(おおむなちのみこと)
田心比売命(たごりひめのみこと)
菊理比売命(きくりひめのみこと)
大山昨命荒御魂
賀茂玉依姫命荒御魂
相殿(あいどの) 大山昨命祖父神素戔鳴尊(すさのをのみこと)
同父神大年神(おおとしのかみ)
旧社格
由緒 後白河法皇は保元3年(1158年)に上皇となったが、院の御所を法住寺に定め、永暦元年(1160年)10月16日に法住寺内に、皇居の守護山王七社の神々を、比叡山東坂本の日吉大社からおまつりした。さらに当時、法住寺は天台宗三井園城寺(おんじょうじ:寺門派)に属していましたので、新日吉の社をお護する別当として、比叡山延暦寺(山門派)の妙法院を、四条の南・祇園社の西の地に移させた。創建当初の社地は、東山瓦坂(日吉坂)の東の今比叡(いまひえ)山西ふもとで、別に、年次を定めて社殿を建てかえるための社地(現在の社域とその北辺)が設けられ、更に諸国に多くの社領地が定められました。武蔵野国川越の荘もその一つで、この地から江戸に出て千代田城を築いた太田資長(道灌)は、新日吉の社の川越の分霊社を、城内に遷した、これが今の日枝(山王)社である。なお、江 戸時代の初めに、妙法院宮堯然法親王が社地を改めて造営し、更に1897年(明治30年)豊 国廟復興に際し、現在地に移転した。
(「新日吉神宮略記」参照)

メモ 京都国立博物館の東、豊国廟への参道の途中、長い坂の途中にある。当日は京都国立博物館で開催中だった「神々の美の世界展」を見学の後、偶然見つけた神社。それにしても「いまひえ」という社名は初めての人間にとって読むのは難しい。参拝者が少ないせいか、境内は寂れた雰囲気であった。由緒正しいのに勿体無い気がした。
公式HP なし

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