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鎮座 |
大阪市北区西天満5丁目4番17号 |
祭神 |
蛭児大神(えびすのおおかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、天太玉命(あめのふとだまのみこと) |
旧社格 |
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由緒 |
欽明天皇の時代(539−71年)、止美連(とみのむらじ)吉雄が蛭児大神の神託を受け、堀江で玉を得て、これを御霊代に蛭児大神を富島(としま)に祀り、瓊見社・止美社と名付けたのが創祀で、白雉2(651)年、少彦名命(淡島明神)の神像を彫刻し納め祭り、大宝3(703年)、天太玉命を相殿に祀った。平治の乱(1159年)を避け、丹波国山家に動座したが、文和年間(1352−5年)、現在地に遷座再興した。以来、蛭児社、恵比須社、堀川戎社と呼ばれ、江戸中期からの十日戎は盛大で諸人群参したという。昭和20年戦災で全建物を焼失、昭和38年に本殿を再建した。
(「堀川戎神社由緒書」参照) |
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メモ |
大阪市営地下鉄谷町線・地下鉄堺筋線「南森町」下車。阪神高速守口線のすぐ近くに位置する。大阪の都心部にあるせいか、境内がおどろくほど狭い。十日戎のときはどうなってしまうのだろうか。とはいえ、境内はきれいに清掃され、都会の喧騒を忘れさせてくれる静かさ。朱印は神社名も手書きでなく印である。有り難味が無さそうにも思えるのだが、こちらのほうが本来の姿で、むしろ貴重な存在とも言える。 |
公式HP |
なし |
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