廣田神社(ひろたじんじゃ)

拝殿 朱印
伊勢神宮の第58回式年遷宮の用材の譲渡を受け、昭和31年(1956年)から38年かけて改築整備された神明造の社殿。
(平成17年5月14日)

鎮座 兵庫県西宮市大社町7番7号
祭神 天照大御神
旧社格 延喜式 式内社 名神大 月次相嘗新嘗
官幣大社
由緒 日本書記に、201年(神功皇后摂政元年)、天照大御神荒御魂(あまてらすおおみかみのあらみたま)の御神誨(しんかい)により三韓出兵から帰還の途次の神功皇后・胎中天皇(第15代応神天皇=後の八幡大神)により武庫の地・廣田の国に創建されたことが記されている。その後も、上代から中古にかけ朝廷に限らず国家的な規模で、国家鎮護、天地自然、立身出世を司る神として、厚く待遇されてきた。白河天皇(11世紀末)の時代には、全国神社に冠たる22社の1社にも選ばれ、明治4年の社格制度の復興に際しては県内で唯一最高位である官幣大社に列格、明治7年には境内地を割譲し末社・戎社(後の西宮神社)を県社として独立させている。
(「廣田神社略記」参照)

メモ 六甲山系の甲山の麓、西宮の中心部の北側に位置する。阪急甲陽線苦楽園口駅から30分ほど歩いて到着。(バスを利用したほうがよかった。)帰りは参道を南へ下って西宮市内に向かったがこちらのほうが近かったかなと思った。参拝日は廣田神社の御祭の日であったが、すでに終わっていたのか境内は静かであった。境内には兵庫県の天然記念物のつつじがある。つつじの花が咲いている時期にまた訪れたいと思う。(平成16年10月16日 参拝)

苦楽園へ行く用時があったので、再び参拝に訪れた。県天然記念物であるコバノミツバツツジは開花時期が3月末から4月中旬ということで、見ることは出来なかった。
(平成17年5月14日 参拝)
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「西宮」の語は、廣田神社の別称として歴史に登場する。廣田社を「西宮」と称したことから14世紀頃には、現在の西宮市域を遥に越える、広い地域を指し示した「御心廣田の国」(「日本書紀」)に代わって、「西宮」の語が廣田神郷全体の地域名として使われるようになった。近世に至ると「西宮」の地名は、市制施行以前の旧西宮町中心部のみに限定されるようになるが、現在の西宮市域が元来「西宮」の地名が意味した廣田神郷の地域をカバーしているのは興味深い。
公式HP http://www.geocities.jp/hirotahonsya/index.html

参道入り口
西宮市内からだとこの入り口から入ることになる。
(平成16年10月16日)
参道
この部分は生活道路になっている。
(平成16年10月16日)
参道
ここからが神社の境内。
(平成16年10月16日)
参道
(平成17年5月14日)
参道から拝殿を見る。
(平成16年10月16日)
拝殿内部
(平成17年5月14日)
本殿
(平成17年5月14日)
脇殿
第一脇殿 住吉三前大神(筒之男三神)
第二脇殿 八幡三所大神(應神天皇、神功皇后、
       仲姫命)
第三脇殿 諏訪健御名方富大神(大国様の御子神)
第四脇殿 高皇産霊大神(宮中八神の主神)
(平成17年5月14日)
境内にある「西宮の過去と現代の比較のパネル」
(左)1500年以上前の古代の西宮と現代の西宮市の地図。廣田神社のところまで入江が奥深く入り込んでおり、武庫水門とよばれる大和朝廷にとって重要な港であった。廣田神社はこの港に出入りする船の航海の安全を願って祀ったこの地域で最も古い神社である。さらに砂州半島の根元に西宮神社がある。
(右)江戸中期の西宮付近。入江は埋め立てられ、現在の主要地もほぼすべて見ることができる。西宮は室町時代から酒造業で有名であった。(平成16年10月16日)

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