御霊神社(ごりょうじんじゃ)

鳥居 朱印

鎮座 大阪府大阪市中央区淡路町4丁目4番地3号
祭神 天照大神荒魂 (瀬織津比売神)
津布良彦神 (旧攝津国津村郷の産土神)
津布良媛神 (旧攝津国津村郷の産土神)
応神天皇 (広幡八幡大神)
源正霊神 (鎌倉権五郎景政公霊)
旧社格 府社
由緒
太古、大阪湾が深く入りこんで海辺はぬかるみ、芦荻が繁茂した圓江(つぶらえ)と云う円形の入江に創祀された圓神祠が御霊神社の創始である。850年(嘉祥3年)の「文徳実録」に八十嶋祭の祭場が圓江でそこに創祀されたのが圓神祠とされ、800年代後半の創建とされている。上古、天皇御即位の大嘗祭につづく八十嶋祭に預かり、後に土地が次第に固成して村を形成しその名も津村と転訛した。その後、豊臣秀吉公の大阪居城と共に政治経済の中心地として発展した。1594年(文禄3年)、石州津和野藩主亀井氏が邸地を割いて寄進したので、境内の小祠乾八幡宮と源正霊神とを本殿に合祀して圓江(現在の靱)から現在地に鎮座した。寛文年間に御霊神社と改称、1696年(元禄9年)御霊大明神の贈号を受け、1753年(宝暦3年)9月、正一位の神階を授けられた。1873年(明治6年)郷社に昇格した。1913年(大正2年)に府社に列したが、1926年(大正15年)、境内の浄瑠璃文楽座から出火し本殿に類焼、焼失。1930年(昭和5年)に再建したが、1945年(昭和20年)に空襲によりすべて炎上した。戦後、1957年(昭和32年)に社殿を再興、1959年(昭和34年)に鳥居玉垣を再建した。現在では商業金融の中心地の鎮守として商家の崇敬が厚く、お弓神事、火焚神事や夏祭は多くの参詣者でにぎわっている。

メモ
大阪市営地下鉄御堂筋線淀屋橋駅の南西にある。社前の道を南に行けば坐摩神社へつながる。オフィスビルに囲まれ、決して広くない境内だが、きれいに整備されて清々しい。

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境内には1884年(明治17年)から1926年(大正15年)まで「人形浄瑠璃御霊文楽座」があり、文楽200年の歴史のうちでも、もっとも華やかな時代をつくったという。
公式HP http://www.goryoujinjya.com/

拝殿
東宮
皇大神宮、恵比須神社、猿田彦神社、東宮十二社を
祀る。
松ノ木神社(正面)と大黒社(右)
うつぼの碑
御霊神社の前身である圓神祠が1594年(文禄3年)まで靱(うつぼ)の地(現在の大阪市西区靱本町)にあったことからそれを後世に伝えるために昭和27年に建てたとある。

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