護王神社(ごおうじんじゃ)

鳥居 朱印

鎮座 京都府京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町(京都御所蛤御門前)
祭神 和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと:護王大神)
和気広虫姫命(わけのひろむしひめのみこと:子育明神


配祀 藤原百川公命(ふじわらのももかわこうのみこと)、路豊永卿命(みちのとよながきょうのみこと)
末社 久爾宮家御霊殿、警察消防招魂社、祖霊社(近衛社)
旧社格 別格官幣社
由緒 高雄山神護寺境内にあって護法善神と称していたが、嘉永4(1851)年3月15日、孝明天皇は和気清麻呂公に正一位護王大明神の神階神号を授けられた。また明治天皇は護王神社を別格官幣社に列せられ、勅命をもって京都御所蛤御門前に社殿を造営し、明治19(1886)年11月3日、現在地に遷座された。大正4(1915)年に子育明神・和気広虫姫を正式に御祭神に合わせ祀った。
和気清麻呂公は奈良朝末に怪僧弓削道鏡の野望を斥け、皇統を守護した。また桓武天皇の御代に平安京への遷都を天皇に献策し、自ら造宮大夫として都作づくりに精魂を傾けた。清麻呂公の姉、広虫姫は戦乱で生じた京中の孤児83名を集めて養育した。これは社会福祉事業の魁をなす事蹟といえる。
(護王神社由緒書を参考)

メモ 京都御苑の西側、烏丸通を挟んで蛤御門の前に鎮座する。境内は広くないが、きれいに掃除されていた。ちょうど夏越大祓の茅の輪が舞殿の前に作られていた。
公式HP http://www.gooujinja.or.jp/

楼門越しに境内を見る。 茅の輪
舞殿 拝殿と本殿

境内社 (平成18年8月4日撮影)
左より「警察消防招魂社」「久爾宮霊殿」「祖霊社」

「願かけ猪」と「座立亥串」
御本殿前にそびえ立つ招魂木(おがたまのき)の根本には、願かけ猪の石像があり、その周りに座立亥串(くらたていぐし)という、願かけの串がたくさん刺し立ててある。これは四手といのししの折り紙のついた竹串で、
これに自分の名前と願い事を書いた紙札をはさんで、願かけ猪の前に刺し立てて願かけをするいった、祈願絵馬のような性格のもの。亥串は2本組になっていて、1本は前述のように刺し立て、もう1本は家に持ち帰って神棚や玄関に祀る。こうすることで、神様の御蔭をより多く戴こうという独特の信仰。
さざれ石
国歌「君が代」に詠まれる「さざれ石」。その大きさは幅3メートル、高さ2メートル。大小様々な石が集まって頑強な巌になっている。
和気清麻呂公銅像
平成10(1998)年、和気清麻呂公千二百年祭を記念して、境内北側に造形作家の松本繁来氏の手による清麻呂公の銅像が建てられた。台座の「和気清麻呂公」の文字は茶道裏千家家元千宗室氏の御揮毫。
ぜんそく封じのカリンの木
表門の北側にそびえ立つ御神木のカリンの木。樹齢100年を超えるこの木は、京都の巨樹名木百選にも選ばれるほど有名で、秋には甘い香りの黄色い大きな実をつける。 この実は、ほぼ3年周期で豊作・平作・不作を繰り返す。この実を用いて造ったカリン酒は、ぜんそくによく効くといわれている。

「狛犬」ならぬ「狛イノシシ」
護王神社の拝殿の前には、狛犬の代わりに雌雄一対の狛イノシシが建てられている(左)。このイノシシは、「日本後紀」に、和気清麻呂公が京より宇佐へ向かわれた際、災難にあわれたのを300頭ものイノシシが現れて、清麻呂公をお護りしたとあることから、「清麻呂公のお社には狛犬でなく狛イノシシを」という崇敬者の声により、明治23年に建てられた。またその他にも境内にはたくさんのイノシシがいる。右の写真は手水のイノシシ像。

inserted by FC2 system