備中国總社(びっちゅうこくそうじゃ)
本殿と拝殿 | 朱印 |
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鎮座 | 岡山県総社市総社2丁目18−1 |
祭神 | 主祭神 大名持命(おおなもちのみこと:大国主命) 須世理姫命(すせりひめのみこと) 相殿 御鎮魂八柱神 (高御産霊神(たかみむすびのかみ)、神産霊神(かみむすびのかみ)、魂留産霊神(たまつめむすびのかみ)、生産霊神(いくむすびのかみ)、足産霊神(たるむすびのかみ)、大宮売神(おおみやのめのかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)、御膳神(みけつかみ)) 備中国内大小神祇三百四社の神々 摂末社 沼田神社(式内社) 大神神社 古祀末社十二社 |
旧社格 | 県社 |
由緒 | 創建年月日不詳であるが平安末期の創建で、備中国の総社である。備中国内大小304社の神祇を奉斎してある。10月の例祭にはこの304社の外に相殿八柱神と末社12社を合わせて324皿の神饌を奉献する古例が存続している。天正年間までは神領があった。天正10(1582)年兵火で焼失し、慶長13(1608)年に再建。貞享4(1687)年に本拝殿を改築。明治5(1872)年11月に県社に列格した。昭和52(1977)年火災で本殿を焼失。昭和54(1979)年に再建した。平成6(1994)年総社跡(境内)が市重要文化財に指定された。 (備中国総社宮由緒書を参考) |
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メモ | 総社は初め、仁徳天皇(313〜399年)の皇妃八田皇女の名代として八田部(八部:やたべ)と呼ばれ、その後、大化の改新(645年)によって備中国が備前(和銅6(713)年に美作国が分かれてできる)、備中、備後の3ヶ国に分かれて、備中国の国府が総社市金井戸に置かれ、国司が中心となって、祭政一致の政治が行われていた。その後、国司の力が弱まって、国内の豪族の勢力が強くなったので、国司が毎年国中の304社(末社を合わせると324社)を巡拝することが困難となり、その上、巡拝の煩わしさを避けるため、国府の近くに社を建てて神々を合祀したので、この社を総社と呼んだ。戦国時代ごろになってから、総社を総社宮とか総社大明神と呼ぶようになり、社の総社が地名として呼ばれるようになって、八田部村の枝村として総社村となった。以後、明治8(1875)年に八田部村が消えて総社村となり、続いて村の発展とともに総社町となり、昭和28(1953)年に施行された町村合併促進法によって昭和29(1954)年3月31日近郷の村々と合併して総社市となった。 国道180号線沿い総社高校の近くにある。境内は広く、その各所に摂末社が点在している。境内の東側には松に縁取られた大きな池があるが、これは三島式庭園で、古代様式を今に伝えている。拝殿前から南方向には長い回廊が伸びており、その参道の入り口には特徴的な外観のまちかど郷土館がある。 |
公式HP | - |
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東参道入り口 | 東参道回廊 |
南参道入り口 | |
「総社」の額が懸かる南参道の鳥居 | まちかど郷土館 明治43(1910)年に建築された旧総社警察署の建物。 |
参道脇の白壁の家 | 南参道回廊 |
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境内 | |
拝殿 | 本殿 |
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摂社 | |
沼田神社 | 大神神社 |
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末社 | |
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前庭 | |
三島式庭園の池 |
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