岩屋神社(いわやじんじゃ)

拝殿をのぞむ 朱印

鎮座 兵庫県明石市材木町8番10号
祭神 伊弉諾尊、伊弉冉尊、大日霊尊、蛭子尊、素盛鳴尊、月讀尊
旧社格 延喜式式内社
由緒 成務天皇13(143)年6月15日勅命により当浜の名主(六人衆)が新船を造り一族郎党を引き連れ淡路島に渡り御皇神を船に遷し奉り帰路についたところ途中、八百潮早く波風高く船を当浜に着けることが出来ず、西の方林崎前の赤石(明石の起源)の所で一夜の泊まりをなした。翌朝、波風も収まり、現在地に遷座した。このとき地元の住民が沖まで泳いで出迎え、「ご神体と一緒に乗船するのは畏れ多い」と泳ぎながら舟を押して岩屋の地に着いたという。
明石城主の産土神として尊ばれ、創建以来、稲爪神社と並んで東播磨地域の古大社として人々の厚い崇拝を受けた。特に明石城の産土神として尊ばれ、社領十二石五斗を賜っている。例年藩主自らが岩屋神社を参拝していた。元文2年(1737年)には藩主・松平直常の世継ぎ松平直純が「鎧始めの儀」の際に当社に参拝し、以後、世継ぎの鎧始めの儀の際には当社への参拝が慣例となった。亦当社は式内社伊和都比賣神社に比定される(論社)。
昭和20(1945)年7月、太平洋戦争の明石空襲により社殿が焼失したが、昭和29年(1954年)に再建された。淡路島岩屋より御遷座した故事にちなみ、7月第3日曜日(以前は旧暦6月14日から15日)の夏大祭に「オシャタカ舟神事」(明石市指定無形文化財:昭和50(1975)年指定)が行われている。明石浦の漁業青年達が一隻の船に五名、約30名が選出され、神船に神々を奉鎮し立ち泳ぎしつつ頭上高く持ち上げ「オシャタカ」(明石の方言の「おじゃったかなぁ」がなまったもので、「神さまがいらっしゃったか」という意味。)と唱えつつ前方に推し進め、渡御式を行うもので、往時は岩屋まで行っていたが、現在は松江海岸(赤石)まで行われる。
(岩屋神社由緒書を参考)

「オシャタカ舟神事」 http://kobe-mari.maxs.jp/akashi/iwayajinja_oshataka.htm (神戸観光壁紙写真集)

メモ 明石港の西側、材木町に鎮座。拝殿では初宮参りか何かのご祈祷が行われていた。拝殿、本殿の周囲にはいくつか摂社・末社があったが、名前がわかったのは白竜神社のみ。昔はどこかで現役だったのか灯篭もいくつかあった。

拝殿 本殿
境内摂社 白竜神社 摂社・末社
摂社・末社 摂社・末社
灯篭 灯篭

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