等持院(とうじいん)

庫裏 朱印

所在地 京都府京都市北区等持院北町63番地
寺号 万年山 等持院 (足利尊氏の法名(=等持院殿仁山妙義)から)
本尊 地蔵尊
開基 足利尊氏
開山 夢窓国師
宗派 臨済宗 天龍寺派
縁起 暦応4(1341)年、足利幕府初代将軍足利尊氏が天龍寺の夢想国師に請うて三条高倉(御池/柳馬場付近)に建てさせた等持寺を建立。。その2年後、衣笠山南麓のこの地に別院の北等持寺を建立した。尊氏の死後、北等持寺はその墓所となり、等持院と改めた。以後足利家累代の廟所となった。応仁の乱で本寺が焼失した後は、等持院が本寺となる。応仁の乱などの戦乱に見舞われたが、豊臣秀吉も秀頼に建て直させるなど、何度も再建されてきた。霊光殿に歴代将軍の木像を安置。本尊は伝教大師作と伝えられる地蔵尊。また夢窓国師作と伝えられる庭園は有名である。庭園は東西に分かれ、西の庭は芙容池と称し、衣笠山を借景にした池泉回遊式庭園。北側に義政公好みの茶室清漣亭がある。
(「等持院 パンフレット」等参照)

メモ 龍安寺から住宅地を通って立命館大学のキャンパス前を通ると右手に等持院が見えてくる。龍安寺から近いが拝観者は少ない。しかし、その分ゆったりと拝観できる。夢窓国師作と伝えられる庭は美しく整備されており、書院から抹茶を頂きながら鑑賞できるほか、実際に庭に降りて鑑賞することもできる。ゆっくり庭を眺めてのんびりしたいならお勧めである。
(平成16年12月11日 参拝)
公式HP なし

方丈(本堂)と庭園
元和2年(1616年)福島正則が妙心寺塔頭海福寺から移築した古建築で南庭を控えた広縁は鴬張りの音が快く響く。
庭園は夢窓国師作として伝えられる三大名園の一つ。
茶室 清漣亭
村田珠光や相阿弥らと茶道を興した義政好みに基づく清漣亭は上段一畳を貴人床とする二畳台目の席である。現在は背後は立命館大学であるが、当時は衣笠山が見えていたことであろう。

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