太山寺(たいざんじ)

本堂 朱印

所在地 兵庫県神戸市西区伊川谷町前開224番地
寺号 三身山(さんしんざん) 太山寺
本尊 薬師如来、十一面観音
開基 藤原宇合(ふじわらのうまかい。藤原不比等(藤原鎌足の次男)の三男)
開山 藤原定恵(ふじわらのじょうえ。「定慧」「貞恵」とも書く藤原鎌足の長男)
宗派 天台宗
縁起 天延元(973)年12月8日の年紀をもつ「播州太山寺縁起」には、元正天皇(715〜723在位)の勅願寺として、藤原鎌足の子、定恵和尚の開山、霊亀2年(716)藤原鎌足の孫である宇合(不比等の子)の建立と伝える。宇合が明石浦摩耶谷の温泉で療養中、夢の中に薬師如来が出現した。薬師如来は、ここより東北の地に定恵和尚結縁の地があり定恵和尚は願望を果 たせず寂したと示現したところ、宇合はその教示に従い七堂伽藍を整備し薬師如来の尊像を安置したという。
創建時の建物は弘安8(1285)年の火災で焼失しており、現存する建物はそれ以降に再建されたものである。建武中興(建武元−3(1334−6)の時は、朝敵北条勢を討つため大塔宮護良親王の令旨を受けて、当寺衆徒のめざましい活躍があった。寺運は大いに栄え、この地方の一大法城として南北朝時代には支院四十一ヶ坊・末寺八ヶ寺・末社六ヶ社を持ち僧兵も養っていたが、世相の有為転変や戦火によっての興亡・浮沈は著しく、現在は龍象院・成就院・遍照院・安養院・歓喜院の五ヶ坊となっている。
(太山寺由緒書を参考)
霊場
・新西国観音第二十五番霊場 ・神戸十三仏第四番霊場
・神戸六地蔵第一番霊場 ・播州薬師第一番霊場
・明石西国第二十六番霊場

メモ 太山寺は神戸市西区にあり、最寄の駅は神戸市交通局西神山手線の伊川谷駅であるが、駅からはかなり遠い。仁王門の前に神戸市営バスのバス停がある。また、近くに「太山寺温泉なでしこの湯」という温泉施設もある。温泉を利用するならそこの駐車場にも車を止めることができる。仁王門から中門までの参道には塔頭寺院が並んでいる。中門を入ると受付で、入山料300円が必要である。ご朱印もここで頂ける。目の前の本殿を始め、三重塔、阿弥陀堂など、立派な建築物が建ち、往年の寺運の栄えていた頃が偲ばれる。
なお、奥の院の上流には鎌倉時代(弘安年間)に彫られたという高さ2mの磨崖仏(不動明王立像)があるが、そこへ至る道が壊れていたためいくことはできなかった。

開山とされる定恵は、藤原鎌足の長男で(次男は藤原不比等)、若くして出家し、遣唐使とともに唐に渡った。生涯について謎の多い人物で、没年についても「日本書紀」「藤氏家伝」は天智天皇4(665)年、「元亨釈書」は和銅7(714)年とするなど定かでない。太山寺の境内および周辺からは定恵の時代までさかのぼる遺跡、出土品等は確認されておらず、実際の創建は平安時代に降るとみられている。往時の繁栄をしのばせる大規模な本堂は国宝で、国指定重要文化財は仁王門、阿弥陀如来坐像をはじめ18件を数える。また国の名勝に指定される安土桃山時代の枯山水名園、安養院庭園など多くの文化財を所有する。所在地周辺55.9haは「太山寺風致地区」として自然景観が保護されているため境内の内外には原生林が残る深森で、「ひょうごの森百選」にも選ばれ、春は桜、秋は紅葉の名所として知られている。
公式HP http://www.do-main.co.jp/taisanji/

仁王門
重要文化財。室町時代中期。もともと重層の楼門であったが、上層部を撤去 した時に大幅に改築、現在は入母屋造・本瓦葺・棟高8m の八脚門である。 修理の際に明らかになった、当初の軒組物を復元して背面 左側の間に置いている。入母屋造、本瓦葺。
太山寺バス停 表側から見る。両側の格子内に仁王像がある。
背側から見る。右側に軒組物が見える。
 
中門
 
本堂
国宝。永仁年間(1293〜99:鎌倉時代)。和唐折衷様式。弘安8(1285)年の火災で前身の建物が焼失し、その後復興にとりかかり再建された。規模は柱真々間で正面20.82m、側面17.76m。仏教の大衆化に伴う新しい仏殿の形式が成立した初期の例としてこの本殿は、極めて貴重な遺構といえる。
本殿正面 本殿背側面
内部 本殿より境内を見る。
 
手水舎 三重塔
兵庫県指定文化財。心柱宝珠柱の銘と棟札 から江戸時代前期・貞享5(1688)年 の建立とされている。 屋恨は本瓦葺で相輪は 型通り、水煙は火焔型 である。 各層四隅の尾垂木の問 には邪鬼を置いている。 色は各層で異なり、下 から白、緑、褐色となっ ている。 初層内部の須弥壇には、 等身大の大日如来坐像 及び四天王立像が安置 されている。
 
観音堂
稲荷舎 羅漢堂(手前)
江戸時代後期。四天王像および十六羅漢尊像安置
釈迦堂(奥)
江戸時代後期。釈迦三尊像安置
 
護摩堂
江戸時代中期。大黒天像・不動明王像・毘沙門天像安置
鐘楼
 
阿弥陀堂(常行堂)
江戸時代前期・貞享5(1688)年に再建されたもの(宝珠柱の銘による)。本来は、天台宗の修法である 常行三昧の修行堂であったが、堂の本尊である阿弥陀如来 に対する信仰が高まるにつれて、阿弥陀堂として人々の礼 拝の対象となった。丈六の阿弥陀如来坐像(重要文化財・ 鎌倉初期)は、時代は150年ほど違うが、宇治の平等院 鳳凰堂にある定朝作の阿弥陀如来坐像とほぼ同じ大きさ (約2.72m)・様式である。
阿弥陀堂 阿弥陀如来坐像
阿弥陀堂より境内を見る。
 
奥の院
閼伽井橋
伊川に架かる。右手が奥の院。
稲荷舎
地蔵堂

塔頭寺院
成就院
桜本坊という名称で創建されたと伝わる。江戸時代後期に妙覚院と改称し、明治4(1871)年に現在の院号に改められた。昭和33(1958)年の火災で門塀以外の建造物は全て焼失、現在の阿弥陀堂や庫裏等は近年の再建である。 庭園は兵庫県指定文化財名勝。文化年間、天一により作庭されたとされる枯山水で、枯池式と築山式の特徴を併せ持つ。原生林と成就院阿弥陀堂を借景にしている。主庭の枯山水のほか、庭門と表門の間に前庭が広がる。
龍象院
安養院
安土桃山時代、八葉蓮華と賛えられる三身山を借景として作庭された枯山水の書院前庭で、龍安寺方丈石庭など多くの枯山水庭園にみられる砂庭式枯山水ではなく、蓬莱神仙思想を豪壮な石組みで表現した枯池式枯山水である。国指定名勝。
安養院書院
神戸市北区にあった江戸時代中期(1730年代)築の茅葺民家二棟を移築し連結したもの。
その他、「遍照院」「歓喜院」がある。

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