六角堂(ろっかくどう)

本堂 (六角堂)
(平成17年10月28日)
朱印

所在地 京都府京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町
寺号 紫雲山 頂法寺
本尊 如意輪観世音菩薩
開基 聖徳太子
開山 -
宗派 天台宗(単立)
縁起 用明天皇2(587)年、聖徳太子が四天王寺建立の用材を求め、この地を訪れたとき、泉を見つけ水浴したと伝えられる。そのとき護持仏をそばの木にかけたが、これが木から離れなくなったという。 その夜、夢のお告げがあり、護持仏の観音(丈1寸8分(約5.5cm)の如意輪観世音菩薩)がここに留まることを望むというので、六角形の堂を建て観音を安置したと伝えられ、これが頂法寺の創始とされている。平安遷都のおりには東西小道の一筋が通る所に六角堂があたってしまい、天皇が使者をたて今少し南北どちらかに御動座頂くよう祈願すると、礎石(へそ石)一つを残し御堂がにわかに5丈(約15m)ばかり北へ退いた話は有名。弘仁13(822)年には嵯峨天皇の勅願所となり、長徳2(996)年には花山法皇の行幸があり、西国三十三ヶ所観音霊場となったといわれている。
この地は太子沐浴の池の跡ともいわれ、池のほとりに小野妹子を始祖とする住持の寺坊があったことから「池坊」とよばれ、この池坊代々の執行によっていけばなが完成された。また、 建仁元(1202)年には親鸞上人が毎夜比叡山から六角堂に百日参りをされ、夢中のお告げによって浄土真宗を開かれたとも言われる。
六角堂は創建以来、数度の火災にあっているが、その都度再建され、現在の建物は明治10(1887)年の建造である。
(由緒書「六角堂と池坊」等参照)

メモ 西国三十三ヶ所観音霊場第十八番札所でもある。京の町の人々に昔から「六角さん」の名称で親しまれてきた。寺号の紫雲山頂法寺よりも「六角堂」のほうが通りが良い。烏丸通りから六角通りをちょっと東に入ったところにある。市内のど真ん中なので、境内はビルに囲まれている。そのうちの一つが池坊華道会入っているビルである。六角堂は屋根が六角形になっているのが特徴だが、下から見ても、わからない。ビルから見れば六角堂という名の所以となった六角形の屋根の形も見るのだが、関係者以外立ち入り禁止である。いけばな発祥の地であるせいか、若い女性の参拝も多いようだ。また、西国三十三ヶ所観音霊場の札所であることから、札所めぐりの参拝者も多いようだ。朱印所の方はバスに乗ってやってきた参拝者の山と積まれた朱印帳に次々と朱印されていくのには驚いた。
(平成16年11月20日参拝)

京都への出張の帰りに久しぶりに参拝。相変わらず参拝者が多い。お寺の方か地元の方か、本堂の周りをきれいに掃除されていた。こういうきめ細かい手入れで、いつも境内がきれいに保たれ、気持ちよく参拝できるのだなあと思う。今回、西側のビルに一台展望エレベーターがあることを発見。それから見ると六角堂の六角形の特徴的な屋根がよく見えた。(ちなみに展望室はないので、エレベーター内から見るだけとなる。)
(平成17年10月28日参拝)
公式HP なし

総門
(平成16年11月20日)
本堂 (六角堂)
(平成16年11月20日)
礎石(へそ石)
(平成17年10月28日)
聖徳太子沐浴の旧跡
(平成17年10月28日)
隣接するビルから六角堂を眺める。
(平成17年10月28日)
鐘楼堂
六角通をはさんで南の飛地境内にある。1605年」(慶長10年)、堀尾吉晴の嫡男、忠氏が寄進したが、天明の大火で焼失。1840年(天保11年)に再鋳されたが第二次世界大戦に供出。現在のものは1954年(昭和29年)に再鋳復元したもの。
(平成17年10月28日)

inserted by FC2 system