仁和寺(にんなじ)

二王門 (重要文化財)
江戸時代に建てられ、左右に金剛力士を安置することから二王門と呼ばれている。
寛永14(1637)年から正保元年(1644年)にかけて建てられたもの。
朱印 (本坊) 朱印 (金堂)

所在地 京都府京都市右京区御室大内33番地
寺号 大内山 仁和寺
本尊 阿弥陀如来
開基 宇多天皇
開山 -
宗派 真言宗 御室派 (総本山)
縁起 仁和寺の創建は平安時代の仁和2(886)年、第58代光孝天皇が西山御願寺として着工したのに始まる。仁和4(888)年、宇多天皇が先帝の遺志を継いで、その造営を完成させ、西山御願寺は先帝から受け継がれた「仁和」の年号をもって寺号と定められ、大内山仁和寺(おおうちやまにんなじ)と呼ばれるようになった。宇多天皇は、退位後、出家して仁和寺を住坊とし、30余年もの間、真言密教の修行に励んだ。以来、明治維新まで皇子皇孫が仁和寺の門跡となり、仁和寺は御室御所と呼ばれた。しかし、応仁の乱では西軍の陣となったことから東軍の焼き討ちに遭い、当時の建物は何一つとして残っていない。応仁の乱から約100年後の寛永11(1634)年、将軍徳川家光の時代になって、紫宸殿ほかの建物を移築したのが、現在の伽藍となっている。広大な境内は御室御所跡として史跡に指定され、国宝、重文の伽藍が配されている。宝物も国宝、重文を多く有し、また、御室流華道の家元としても知られる。現在、仁和寺は真言宗御室派の総本山であり平成6年に国連の世界遺産に登録された。
(「仁和寺 パンフレット」等参照)

メモ 京福電鉄北野線御室駅より北へ歩くと二王門の雄姿が見えてくる。二王門をくぐり、左手に本坊への受付がある。大玄関で朱印帳を預けて参拝。白書院から宸殿へ抜ける間、南庭が見える。白砂と松、紅葉そして勅使門と二王門の組み合わせが美しい。北庭からは飛涛亭が見える。霊明殿でお参りし、黒書院を見る。御室流華道の家元だけあって、どこにもお花が立派に飾られていた。本坊を出て参道を進む。中門をくぐると、右手には五重塔が見える。左手は御室桜があるのだが、今は葉も落ちて春を待つ状態であった。参道を登り切ると金堂が見える。随分大きい印象だ。朱印帳を朱印所に預け、金堂へ参拝。紫宸殿が移築されたと言われるだけあってその姿は優美であった。しかし、国宝のために簡単に手が入れられないせいなのか、内部はやや傷んでいる印象があったのが心残り。
仁和寺は境内が広く、ゆっくりすることができた。御室桜の美しい春にまた参拝してみたい。
(平成16年12月11日 参拝)
公式HP http://web.kyoto-inet.or.jp/org/ninnaji/

本坊表門と二王門
二王門をくぐると右手に本坊の表門がある。大玄関からの眺め。
大玄関
本坊正面から大玄関を見る。手入れの行き届いた松が印象的。
宸殿より南庭と勅使門を見る
白書院を抜け、宸殿へ行くと、南庭と勅使門の向こうに二王門の見える。日が射すと、白洲の縞がはっきりと浮き上がった。
北庭
南庭と打って違って、北庭は優雅な雰囲気である。築山に見えるのは光格天皇遺愛の茶室、飛涛亭 (重要文化財)。その向こうには五重塔が見える。
北庭
霊明殿から北庭を眺める。中央に心字の池と白砂が巧みに配され、美しい。
霊明殿
歴代門跡の御霊を祀る。
勅使門
参道から勅使門を見る。若干傷みが目立つ。
参道より中門を望む
二王門から参道を見る。随分長い。奥に見えるのが中門。
参道から二王門を望む 中門から二王門を望む


五重塔 (重要文化財)
寛永21(1644)年に創建。総高は36m。各層の屋根の大きさがほぼ同じという江戸期の特徴を示している。
金堂(国宝)へ向かう参道

金堂(国宝)
仁和寺が寛永年間に再建されたとき、桃山時代に建てられた京都御所の紫宸殿を移築し本堂とした。
現存する最古の紫宸殿の遺構であり当時の宮廷建築を今に伝える貴重な建造物。
本尊は阿弥陀如来。

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