廣隆寺(こうりゅうじ)
山門
元禄15(1702)年の建立。
目の前を京福電車(嵐電)嵐山線が走る。
朱印

所在地 京都府京都市右京区太秦蜂岡町
寺号 蜂岡山 廣隆寺
本尊 薬師如来
開基 秦河勝(はたのかわかつ)
開山 聖徳太子
宗派 真言宗御室派 (大本山)
縁起 広隆寺は推古天皇11(603)年に建立された山城最古の寺院であり、四天王寺、法隆寺等と共に聖徳太子建立の日本七大寺の1つであ。この寺の名称は、古くは蜂岡寺と云い、また秦寺、秦公寺、葛野寺、太秦寺などと云われたが、今日では一般に広隆寺と呼ばれている。広隆寺の成立に就いて、日本書記に次のように載っている。
「十一年十一月亥朔。皇太子謂諸大夫曰。我有尊仏像。誰得是像以恭拝。時秦造河勝進曰。臣拝之。便受仏像。因以造蜂岡寺。」
すなわち、秦河勝が聖徳太子から仏像を賜り、それを本尊として建立したという。この本尊が現存する弥勒菩薩であることが広隆寺資材交替実録によってわかっている。秦氏が大勢で日本に帰化したのは書記によると、第15代応神天皇の16年で、養蚕機織の業が主であったが、その外に大陸や半島の先進文明を我が国に輸入することにも努め、農耕、醸酒等、当時の地方産業発達に貢献していた。広隆寺は弘仁9(818)年に火災に遭ったが、秦氏出身の道昌僧都によって再興、更に久安6(1150)年にも炎上し、永万元(1165)年に復興された。このような度々の災禍にもかかわらず、弥勒菩薩半迦思惟像(国宝第1号)をはじめ、多くの仏像が良く保存されている。なお、広隆寺の本尊は平安遷都直後の延暦16年(797年)以来、薬師如来となっている。
(「太秦 廣隆寺 パンフレット」参照)

メモ 京福電車太秦駅の目の前にある。山門をくぐると上宮王院太子殿がある。さらに参道を行くと受付がある。受付を通って霊宝殿へ。この寺には国宝第1号の弥勒菩薩半跏思惟像があり、これを是非拝観したかった。実際に拝観できてその美しさに、しばし時を忘れた。
(平成16年10月10日 参拝)
公式HP なし

上宮王院太子殿 (本堂)
享保15(1730)年に建立された。桧皮葺入母屋造。本尊として聖徳太子像を安置している。この太子像には歴代天皇が即位大礼に着用の黄櫨染桐竹鳳麟御袍御束帯を贈進されるならいになっている。毎年11月22日に開扉される。

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