建仁寺(けんにんじ)

庫裏(本坊) 朱印
ご朱印の「拈華堂(ねんげどう)」とは建仁寺の法堂の別称で拈華微笑という禅語から来ている。
朱印帳

所在地 京都府京都市東山区大和大路四条下る小松町
寺号 東山(とうざん) 建仁寺
本尊 釈迦如来
開基 源頼家卿 (鎌倉幕府二代将軍)
開山 明庵(みんなん)栄西(ようさい、一般にはえいさい)禅師
(永治元年(1141年)、備中吉備津宮の社家、賀陽(かや)氏の子として生まれた。14歳で落髪、比叡山で天台密教を修め、二度入宋を果たし、日本に禅を伝えた。また、中国から茶種を持ち帰り、日本で栽培することを奨励し、喫茶の法を普及した茶祖としても知られる。)
宗派 臨済宗 建仁寺派(大本山)
縁起 建仁2年(1202年)土御門天皇の勅願寺となり、当時の年号を下賜された日本最古の禅寺。諸堂は中国の百丈山を模して建立された。創建当時は天台・密教・禅の三宗兼学であったが、第十一世蘭渓道隆の時から純粋な臨済禅の道場となった。、京都五山の第三位に列せられている。俵屋宗達の「風神雷神図」、海北友松(かいほうゆうしょう)の襖絵などの文化財を豊富に伝える。山内の塔頭としては、桃山時代の池泉回遊式庭園で有名であり、貴重な古籍や、漢籍・朝鮮本などの文化財も多数所蔵していることで知られる両足院などがある。また、豊臣秀吉を祀る高台寺や、「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺である。

メモ 一度行ってみたかったので、学会の帰りに寄ってみた。この日は朝から曇りであったが、行く途中で雨となった。庫裏で方丈と法堂の拝観料を収めて方丈へ入る。京都の寺院用のご朱印帳(2冊目)を購入。ここの方丈もなかなか広い。ぐるっと回って有名な「大雄苑」と称される枯山水の前庭へ。まだ桜のシーズンには早く、平日でもあったので、誰もいなくてゆっくりと雨の「大雄苑」を堪能することができた。方丈横からは庭へ降りて茶室「東陽坊」へゆくことが出来る。また、法堂へも歩いてゆける。法堂内の天井には双龍図がある。よく天井画に龍が描かれるが、ニ匹は珍しいとか。
方丈を出て境内を歩く。雨はいつの間にかやんでいた。境内は南北に長い形になっている。その東西に塔頭がいくつか並んでいる。また開山堂もある。通常は非公開のため見ることはできなかった。法堂は外から見るとどっしりとした構えで、時代は違うが、法隆寺の金堂を思い出した。その南に三門。浴室もあったが、現在も使っているのだろうか。さらに南にいくと境内の端、勅使門である。勅使門から境内を出た。今回は雨に濡れる境内をゆっくりと楽しむことが出来た。特に「大雄苑」をゆっくりと観賞することが出来たのがよかった。
公式HP

http://www.kenninji.jp


北門
花見小路通りを南に、祇園甲部歌舞練場の前を通り過ぎると、やがて建仁寺の北門が見えてくる。
庫裏(本坊)
方丈の入り口。方丈と法堂は拝観料が必要。
風神雷神図(レプリカ)
入ってすぐのところに風神雷神図のレプリカがある。(落款も印章もないが)俵屋宗達の最高傑作といわれる。二曲一双の屏風に金箔を押し、右双に風神、左双に雷神を描いている。実物は京都国立博物館に寄託している。
方丈内部
方丈の庭 方丈
重要文化財。慶長4年(1599年)恵瓊が安芸の安国寺から移建したもの。優美な銅板葺の屋根が印象的な禅宗方丈建築。本尊は東福門院寄進の十一面観音菩薩像。白砂に緑苔と巨岩を配した「大雄苑」と称される枯山水の前庭は大らかな味わいがある。
大雄苑
方丈の南に位置する。白砂に緑苔と巨岩を配した枯山水の前庭である。
向うに法堂の屋根が見える。
庭の片隅(h画面右方の木が立ち混んでいるあたり)には織田信長を偲んで織田有楽斎が建てた石塔がある。
茶室 東陽坊
草案式二帖台目席。天正15年(1578年)に豊臣秀吉が催した北野大茶会で、利休の高弟・真如堂東陽坊長盛が紙屋川の土手に建てたと伝えられる茶室で、担当した副席と伝えられる。二帖目目席でもっとも規範的な茶室とされ、茶室の西側には当寺の名物「建仁寺垣」が設けられている。大正10年(1921)に現在地へ移された。左図の茶室の後ろに見えるのが「建仁寺垣」。
秀吉がこよなく愛したといわれる烏帽子岩 安国寺恵瓊の墓
境内の様子
法堂(左)と方丈(中央:緑の屋根)、右に庫裏を見る。

法堂(はっとう)
昭和2年上棟。仏殿兼用の「拈華堂(ねんげどう)」。五間四間・一重・裳階付の禅宗様仏殿建築。正面須弥壇 には本尊釈迦如来座像と脇侍迦葉尊者・阿難尊者が祀られている。天井画は平成14年(2002年)に創建800年を記念して小泉淳作画伯によって描かれた「双龍図」。

法堂内の天井画
法堂内の天井画(全景)
三門 「望闕楼(ぼうけつろう)」
空門・無相門・無作門の三解脱門。「御所を望む楼閣」という意味で「望闕楼」と名付けられた。楼上には釈迦如来・迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られている。静岡県浜松市(旧浜名郡雄踏町)の安寧寺から1923年に移築したもので、江戸時代末期の建築である。
楼上の額
開山堂(非公開)
旧名・護国院、古くは興禅護国院といい、開山栄西禅師の入定塔(墓所)。苔むした庭に開山お手植えの菩提樹が今も茂っている。客殿本尊は客殿本尊は赤旃檀釈迦如来像。襖絵は加藤文麗筆「竜虎図」、原在中筆「孔雀図」等。写真は楼門。

茶碑

浴室
寛永5年(1628年)三江和尚(諱紹益)によって建立。七堂伽藍の一つで内部は待合、浴室、土間(火炊場)に三分されている。湯気で体を温める蒸し風呂で、禅寺では入浴も修行の大切な部分として、厳しい作法が細かく定められている。
勅使門
重要文化財。銅板切妻造の四脚門で鎌倉時代後期の遺構を今に伝える。柱や扉に戦乱の矢の痕があることから、「矢の根門」「矢立門」と呼ばれる。元来、平重盛の六波羅邸の門、あるいは平教盛の館門を移建したものといわれる。
八坂通りに面している。

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