慈照寺(じしょうじ)
観音殿(銀閣:国宝)と向月台 朱印

所在地 京都府京都市左京区銀閣寺町2番地
寺号 東山 慈照寺 (とうざん じしょうじ)
本尊 観音菩薩
開基 足利義政
開山 夢窓国師 (勧請開山)
宗派 臨済宗 相国寺派
縁起 室町幕府8代将軍足利義政は文明5(1473)年、嗣子足利義尚に将軍職を譲り、祖父にあたる3代将軍足利義満の北山殿金閣(鹿苑寺)にならい、隠栖生活を過ごすため、文明14(1482)年から、東山の月待山麓に東山山荘(東山殿)の造営を始めた。造営工事は義政の死の直前まで8年にわたって続けられたが、義政自身は山荘の完成を待たず、工事開始の翌年にはここに移り住んでいた。延徳2(1490)年2月、同年に死去した義政の菩提を弔うため東山殿を寺に改め、相国寺の末寺として創始されたのが慈照寺である。寺の名前は足利義政の法号「慈照院」にちなんでいる。東山殿は、足利義政を中心に形成された東山文化の発祥地であり、日本人の近世的生活文化の発端をなしている。今もなお、銀閣寺には東山文化と禅宗文化の結合をみることができる。
(「慈照寺 パンフレット」等参照)

メモ 哲学の道の北端から土産屋の並ぶ参道をしばらく登ると慈照寺の総門がある。高い生垣に囲まれた参道を行くと中門。こちらのチケットも鹿苑寺と同様、御守護札になっているが、大きさはこちらのほうが小ぶりである。門をくぐると銀閣が現れる。本堂の前を通り、東求堂まで行くと、銀閣の前に向月台が配された、ご存知の構図となる。写真で有名だが、やはり目でみるほうが数段素晴らしい。銀閣は金閣に比べ地味かもしれないが周囲の雰囲気に溶け込んで全体的にはこちらのほうが好きだなあと思った。
(平成16年11月6日 参拝)
公式HP http://www.shokoku-ji.or.jp/ginkakuji/

総門
哲学の道から慈照寺方向へ参道を歩く。道の両側はお土産屋さんでいっぱい。観光客で賑やかである。参道の突き当たりに総門がある。
拝観券
鹿苑寺同様に御守護札になっている。大きさはこちらの方がやや小振り。
本堂(方丈) 東求堂(とうぐどう:国宝)
足利義政の持仏堂。一層の入母屋造りで、檜皮葺きの現存する最古の書院造り。南面に拭板敷、方二間の仏間が設けられ、北面には六畳と四畳半の二室がある。北面東側の四畳半は、同仁斎とよばれ東山文化を生み出す舞台となり、また草庵茶室の源流、四畳半の間取りの始まりといわれている。
境内にあった苔の展示
苔にも「良い苔」と「悪い苔」があるそうで、いかに「良い苔」を育て、「悪い苔」を退治するかが庭園管理の課題だそうだ。
観音殿(銀閣)と錦鏡池
銀閣は鹿苑寺の舎利殿(金閣)、西芳寺の瑠璃殿を踏襲し、本来、観音殿とよばれた。二層からなり、一層の心空殿は書院風。二層の潮音閣は板壁に花頭窓をしつらえて、桟唐戸を設けた唐様仏殿の様式。閣上にある金銅の鳳凰は東面し、観音菩薩を祀る銀閣を絶えず守りつづけている。
展望所より境内を望む
本堂の前面に広がる銀沙灘(ぎんしゃだん)と松のコントラストが美しい。

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