圓教寺(えんきょうじ)

摩尼殿 朱印(摩尼殿)

所在地 兵庫県姫路市書写2968
寺号 書寫山 圓教寺 (しょしゃざん えんぎょうじ)
本尊 六臂如意輪観世音菩薩
開基 -
開山 性空上人(せいくうしょうにん)
宗派 天台宗
縁起

康保3(966)年、性空上人(せいくうしょうにん)によって開かれた。「この山に登る者は菩提心を起こし、また峰に棲む者は六根を浄められる」という文殊菩薩のお告げのとおり、摩尼殿上の白山(准てい峰)において上人は悟りを得られた。その後、上人の得を慕い利益(りやく)を得ようという多くの人々の信仰を集め、「西の比叡山」と称され、僧侶の修行の道場として栄えた。西国三十三霊場の二十七番札所でもある。現在、境内は国指定の史跡であり、大講堂や常行堂、金剛堂など建築物8棟と阿弥陀如来像など仏像8体が国重文に指定されている。
(入山のパンフレットより)


メモ JR姫路駅前のバスセンターから姫路市営バス「書寫ロープウェイ」行きで約30分、ロープウェイで5分で書寫山中腹に到着する。そこから参道をあるいて15分ほど行くと圓教寺である。山上には多くの伽藍があり、なかなか見ごたえがあった。さすが「西の比叡山」といわれるだけはあると思う。紅葉目的もあっていったのだが、紅葉のほうはまだ早かったようであった。「もみじまつり」も開かれており、普段は非公開の部分も見ることが出来てよかった。
公式HP http://www.shosha.or.jp/

書寫山ロープウェイ
圓教寺は書寫山の山上にある。登山道のほかロープーウェイで行くことも出来る。
参道の途中から見た姫路市内

仁王門
三つ棟造りの仁王門である。江戸初期の建物。両脇に仁王像が立つ。向かって右側が口を開いた「阿」像、左側が「吽」像。一対で「あ・うんの呼吸」をつくり聖域の守りとなる。これより先が圓教寺境内。
(兵庫県指定文化財)

石造笠塔婆
(兵庫県指定文化財)
摩尼殿(まにでん 如意輪堂)
清水寺と同じ掛け造り(舞台造り)。 マニとは梵語の如意のこと。天禄元年(970)創建。本尊は六臂如意輪観世音菩薩で、この堂の創建前、天人が桜樹を礼拝するのを見て、上人が根のあるままの生木に観音像を刻まれた。そのために岩山の中腹の舞台造りの建物となった。本尊は、1月18日の鬼追いの日に開扉される。国の重要文化財四天王像(多聞天 、広目天 、増長天 、持國天)もここに安置される。

三つの堂
室町時代に建てられた大講堂、食堂、常行堂はそれぞれ学問と修行の場、修行僧の寝食の場、常行三昧の修行の場として使われたもの。三堂とも元徳元年に全焼し直ちに再建に着手したが食堂のみは未完成のまま放置されていたのを昭和38年の解体修理の際に完成させた。
 
大講堂
986年花山天皇の勅願により創建。このとき円教寺号を賜った。僧侶の修行の道場として、経文の講義を聴いたり、論議、止観(座禅)、懺悔等の行をおこなったところ。建物は室町時代初期のもので鎌倉時代の特徴も残す。昭和32年解体修理。
(国指定重要文化財。本尊の釈迦如来像、脇侍の文殊普賢菩薩像は平安時代の作で国指定重要文化財)
朱印(大講堂)

食堂(じきどう)
承安4(1174)年、後白河法皇の勅願で創建。長さが約40mあり、二階建て建築としては他に類を見ない。修行僧の寝食に供した場所と伝えられる。未完成のまま放置されていたのを昭和38年の解体修理の際に再建完了。現在は1階が写経道場、2階が寺宝の展示館となっていまる。
(国指定重要文化財)

常行堂(じょうぎょうどう)
創建時期不明。常行三昧(ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を回る修行)をするための道場。建物の構成は、方五間の大規模な東向きの常行堂。北接する長さ十間の細長い建物が楽屋、その中央に張り出した舞台とからなり立っている。内部は、中央に二間四方の瑠璃壇を設け本尊(阿弥陀如来)が安置されています。舞台は、大講堂の釈迦三尊に舞楽を奉納するためのものと思われています。昭和40年に解体修理。
(国指定重要文化財。本尊の阿弥陀如来も国指定重要文化財)

本多家廟所
大講堂の東南の隅にある。姫路城城主本多家の墓所があり廟屋五棟と本多忠刻らの墓碑が並んでいる。五棟の廟屋は、江戸初期から中期にわたる廟屋の建築として兵庫県下でも例のない珍しいもの。
(兵庫県指定文化財)


奥の院
 

開山堂
圓教寺の開祖性空上人を祀る円教寺奥の院の中核をなす堂である。寛弘4(1007)年、98歳で上人が世を去った後、弟子の延照律師が創建したといわれる。以来、一千年にわたり燈明が燃え続け、朝夕欠かさず勤行が行われている。現在の建物は寛文11(1671)年に再建されたもので、江戸初期の開山堂建築の代表作。内部は内陣(正堂)と外陣(礼堂)に分かれている。内陣の一部は天台宗の伝統を受け継ぎ、土間となっている。
(兵庫県指定重要文化財)

朱印(開山堂)
開山堂軒下の力士像
開山堂の軒下の四隅にある左甚五郎作と伝えられる力士の彫刻のうち西北隅の一つは、重さに耐えかねて逃げ出したと言う伝説は有名。
護法堂
奥の院の開山堂前にある二つの小さな神社。向かって右が乙天社、左が若天社。書寫山の鎮守で開山の性空上人に付き添って仕えたという乙天(不動尊の化身)と若天(毘沙門天の化身)の二童子を祀っている。同寸同型の春日造りで小規模ながら細部の手法に優れ室町末期の神社建築の特色をよく表している。
(国指定重要文化財)

護法堂拝殿
奥の院の広場を挟んで護法堂と向かい合って建っている。桃山時代の建築物で別名「弁慶の学問所」で知られている。

不動堂

根本薬師堂
鎌倉時代の建物で、天竺様式(大仏様の手法)を取り入れている。圓教寺に現存する建物の中で最古のもの。根本堂とも称する。
(兵庫県指定文化財)
朱印(根本薬師堂)
金剛堂
室町時代の建物。三間四方の小堂で、もとは普賢院という塔頭の持仏堂で、内部には、仏壇を設け厨子が安置されていた。天井には天女の舞う姿が描かれている。
(国指定重要文化財。本尊の金剛薩垂は兵庫県指定文化財)
鐘楼
裾が開いた袴腰付きで腰組を持った正規のもの。鎌倉後期ごろの古い様式を残す。
(国指定重要文化財)
法華堂 十地院
現在は「はづき茶屋西店」として使われている。 
十地院と法華堂

塔頭寺院

壽量院
江戸中期の建物。「蔀戸」中門などの寝殿造りの古い形式を備え、内部は、床や違い棚のついた書院造りになっている。もっと古くには、無量壽院と呼ばれ、承安4(1174)年には後白河法皇がここに七日間こもって観世音菩薩の加護を願われた。
(国指定重要文化財)

参道から見た壽量院

十妙院
建築構造は国指定の重要文化財である壽量院と似ており同建築物を参考にして江戸中期に建築された。仏間を中心とした方丈と台所を設けた庫裡とを会わせた構造で、壽量院と共に円教寺型ともいえる独特の構造を持っている。建物内部には狩野派の画家である狩野永納筆の襖絵が多数残されている。平成4−7年に大修理が行われた。秋のシーズンには特別公開される。(兵庫県指定重要文化財)

瑞光院

圓教寺会館(金輪寺跡)
宿泊も可能な宿坊として利用されている。。

圓教寺の御用達菓子として知られる「書寫千年杉」。
トム・クルーズが「ラストサムライ」の撮影で円教寺を訪れた際、お土産として50本もの買い物をして帰った話は有名。小倉餡(下左)と柚子餡(下右)がある。

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