縁起 |
一般的には千本釈迦堂の名で親しまれている。千本釈迦堂大報恩寺は鎌倉初期安貞元(1227)年、義空上人によって開創された寺である。義空上人は、藤原秀衡の孫にあたり、19才で叡山澄憲僧都に師事、10数年の後この千本の地を得て、苦難の末、本堂をはじめ諸伽藍を建立した。本堂は創建時そのままのものであり、応仁・文明の乱にも両陣営から手厚き保護を受け、奇跡的にも災火をまぬがれた京洛最古の建造物として国宝に指定されている。また本堂造営の際、棟梁である高次が、掛け替えのない柱の寸法を切り誤って心憂していたのを見た妻「おかめ」が「升組みをほどこせば・・・」という助言をした。この着想が結果として成功を収めた。安貞元年12月26日、上棟式が行われたが、この日を待たずして妻は自刃して果てた。棟梁がミスをし、それを女の提言で補ったことが世間にもれ聞こえてはいけないという思いからだった。高次は、亡き妻の名にちなんだ福面を扇御幣につけて飾り、妻の冥福と大堂の無事完成、永久を祈ったと云われている。今日、上棟式に上げられるおかめ御幣は、おかめの徳を偲び、永久堅固、繁栄を祈るためだと云われている。
(「千本釈迦堂 大報恩寺 由緒書」参照) |