国分寺(こくぶんじ)
(備中国分寺跡)

本堂 朱印

所在地 岡山県総社市上林1046
寺号 日照山 国分寺
本尊 薬師如来
開基 -
開山 聖武天皇
宗派 真言宗 御室派
縁起 国分寺は国分尼寺とともに鎮護国家を祈るため天平13(741)年に聖武天皇の勅願により建てられた官寺である。備中国分寺もその一つであったが南北朝時代に焼失して廃寺となったと考えられており、江戸時代中期に日照山国分寺として再興されたものある。建物の構造などから、再建に当たっては、浅尾領主蒔田(まいた)氏の援助があったものとみられている。寺院というより,武家屋敷のような書院風の簡素な建物である。

メモ 備中国分寺の寺域は東西約160m、南北約180mで、周囲には幅約1.2〜1.3mの築地土塀が廻らされており、寺域内には南門、中門、金堂、講堂、塔などの伽藍が配置されていた。昭和46年に岡山県教育委員会が実施した発掘調査によって、南門跡、中門跡、建物跡、築地土塀などが確認されているが、金堂跡や講堂跡は現在も寺の境内地に含まれており、その位置や規模は明らかになっていない。備中国分寺は中世には廃寺となり、その後江戸時代中期にいたって、日照山国分寺として再興された。現存する伽藍はすべて再興後に建てられたものである。

備中国分寺跡は岡山県営「吉備路風土記の丘公園」になっている。一帯はのどかな田園風景が広がり、その景観は備中路を代表するものである。特に春はすばらしい。
公式HP -

備中国分寺境内
山門 鐘楼
大師堂 本堂
殿と勅使門 庫裏
表書院 (現在は観光案内所) 五重塔
重要文化財。弘化元(1844)年ごろに完成し、34.32mの高さがある。この塔は、 屋根の上層と下層がほぼ同じ大きさの細長い造りで相輪も短く、江戸時代後期の様式を濃く残す代表的な塔であり、また県内唯一の五重塔でもある。
 塔内は初重内部中央に心柱が立ち、四周に四天柱を据え、その内側に仏壇を作り、四如来像を安置している。天井は格子状で天井板には55cm角大の欅の一枚板を使い、彩色画が描かれ、堂内をいっそう荘厳にしている。絵は全部で104枚あり、四天柱の脇にある4枚の天女図のほかは 季節の花々を描いた草花文である。

国指定史跡 備中国分寺跡
備中国分寺は中世に廃寺となり、その跡地に国分寺が再興された。昭和46年の調査で伽藍の配置の一部が明らかになっている。
礎石 南門跡
築地塀跡 井戸跡
建物跡

吉備路風土記の丘
備中国分寺を含む一帯は「吉備路風土記の丘」として整備されている。この地域にある施設・遺跡を紹介する。
(平成19年3月4日 撮影)
備中国分尼寺跡
国分寺と共に創建されたが、南北朝時代に兵火で焼失した。
築地塀跡 中門跡
金堂跡 礎石が往時を偲ばせる。
こうもり塚古墳
横穴式石室を持つ全長100mの前方後円墳。石室は全長19.4mあり、吉備三大巨石墳のひとつ。
西側から見る。 横穴式石室への入り口
吉備路郷土館
吉備路の歴史を考古学資料によって展示、解説している。
吉備路郷土館 旧山手村役場
旧松井家住宅

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